柳根一 金正日の北韓は昔から「南朝鮮革命」を公然と高唱してきた。いわゆる「民族解放人民民主主義革命」というのがそれだ。南側の金正日勢力はこれを「民族民主変革」と脚色して呼ぶ。一言で彼らは南側の社会変革をあからさまに主張するわけだ。この「変革」の政治的方法論が「統一戦線戦術」だ。この戦術の目標は、米-朝平和協定締結、韓米同盟の解体、米軍撤収、南韓内の親北力量の強化、連邦制、赤化統一だ。 金正日のこういう革命論は、初めは夢のような音だった。「反共」ヘゲモニーが鉄の如く確立されている南韓でそういうとんでもない、全く受入れられないことを言うとは...だが、今はどうなのか? 南韓には根っからの親北、同調者、傍観者、付和雷同者、でも似非進歩など、今は決して油断できない「親北症候群」が厳存している。平壌の革命司令部と南側の「NL(親北派)」の執拗で巧妙な宣伝扇動、わが社会の一部のnoblesse oblige(指導層の道徳的義務)の欠乏が生んだ産物だ。 にも拘らず、われわれは今まであまりにも守勢的で防御的な姿勢で一貫してきた。なぜ、われわれはいつも彼らの「革命論」や「変革論」の一方的な攻勢で「やられても膺懲できない」立場に転落せねばならないのか? なぜ、われわれは「北韓の変革」というわれわれなりの攻勢的な立場を確立しないか、できないのか? 金正日のあの隙間のない掌握力にどう入り込むのかと? そうして戦争が起きたらどうするのかと? それでは、金正日はなぜ、どのように、戦争が起き得る「南朝鮮革命論」を追求したのか? 金正日はそうしても良く、われわれはそうしたら駄目なのか? 人生万事の鉄則は相互性だ。孔子曰く、己所不慾なら勿施於人といった。自分が願わないことを他人にするなということだ。金正日は、われわれには「尊厳なわが体制に敢えて挑戦したら...」といいながら毎日恫喝する。その一方で、金正日は、われわれの尊厳な体制を「植民地従属化」云々しながら政治工作で、宣伝扇動で、大砲で終始変わらず攻撃している。それで、これからはわれわれも「北韓の変革」を言わねばならない。相互性の原則にしたがって-。 北韓の変革を何と定義するか? 中期的には反封建、反鎖国、親市場への変革だ。金正日1人絶対王政(absolute monarchy)が支配する世襲封建王朝や閉鎖的、反市場的アンシャンレジーム(旧体制)を打破する変革だ。この変革は、北韓の正常化(normalization)、民主化(democratization)、自由化(liberalization)の変革を追求するまでの過渡期的前段階として設定することができる。この変革の全体過程を一言で「北韓変革」と呼べる。 戦術的次元では、南側国民と北側住民の連帯を追求する「逆統一戦線」を構築せねばならない。対北心理戦、対北プロパガンダがその初の課題だ。この変革の主体は北韓住民であり、その力量の成熟のための支援力量がわれわれ南側の国民だ。この支援力量の推進の当事者は、先ずは政府よりは市民社会だ。 この変革論は仮説だ。他のもっと正しい良い意見が出ることを待望する問題提起であるだけだ。江湖諸賢の異見、卓見、修正、批判、矯正を歓迎する。今としては、ただわれわれも金正日が南側に対してやっているように、「北韓はこのように変革されねばならない」という大原則と理想と歴史観を立てねばならないのではないかという点を喚起したいことだ。 |