趙甲済 李明博大統領は大統領として必ずやるべき仕事をしない場合が多かった。そういう習慣が直されないと天安艦爆沈に対する報復もしない可能性を排除できない。 1.彼は大統領に就任して直ぐ「6.15宣言」と「10.4宣言」は大韓民国憲法に違反すると公開的に闡明すべきだった。「国憲を遵守し国基を保衛する」と宣誓して大統領に就任した人が国憲を紊乱し国基を揺るがした二つの宣言の合憲性の可否に対して今まで一度も触れていない。 2.彼は、大統領に就任するや左派政権の要職に就いて反共自由民主主義路線に反して、反憲法的-反国家的な行為をした人々を新政府に任用すべきでなかった。李大統領は国防長官、国家情報院長、統一部長官に盧武鉉政権の要職の者を任命した。 3.李大統領は就任するや左派政権10年の反憲法的行為を指摘し、これを正す「国家正常化措置」を取ると宣言すべきだった。左派政権次元の利敵行為に対する集中捜査を行うべきだった。軌道から外れた大韓民国を正常軌道に戻すという宣言を通じて「世の中が変わった」という点を親北左翼勢力に知らせるべきだった。反国家的理念を持った勢力と戦わねばならない時、彼は「理念は旧いものだ。理念の時代は終わった」と宣言した。左翼との理念戦争を放棄したことで左翼らが掌握した社会的権力に屈服、妥協、共生する道を選択した。 4.李大統領は「狂牛病乱動事態」に直面して、一度も「MBCの扇動は嘘だ」、「不法は膺懲する」と話さなかった。偽りの扇動勢力に阿附し謝る姿を見せることで、馬鹿騒ぎ勢力を励まし遵法勢力を失望させた。 5.李大統領は「龍山防火事件」の時、暴徒らが火炎瓶を投げて起きた火災で警察官が焼死したのに、また、警察の鎮圧に無理がなかったのに警察庁長内定者を解任することで不法勢力が横車を押せば大統領が部下らを餌食として捧げるという印象を与えた。 6.李大統領は捜査中に自殺した盧武鉉前大統領に国民葬を献呈し、金大中元大統領が死去した時は前例を無視して国葬に格上げさせることで左派政権の二人の権力者を建国大統領より優待した。彼は「建国60周年記念式」の演説でも建国大統領に感謝しなかった。 7.李大統領は北韓政権が予告もなしに夜中にダムの水門を開けて臨津江に洪水を起こして六人を死なせたのに、賠償要求や責任者の処罰要求など何の膺懲もしなかった。 8.李大統領は左派政権終息のため戦った愛国人士たちを徹底に冷遇した。その代り親北文人の黄晳暎氏を頂上会談に同伴し、「6.25南侵戦争」60周年記念行事委員長に北韓工作員だった尹伊桑追悼事業委員長出身を任命し、社会統合委員会の委員長に左派政権時の総理を任命した。 9.李大統領は憲法の命令により反共自由民主主義路線に立つべきなのに、そうして「朝鮮労働党政権の解体による自由統一」を国家意志とすべきなのに、左右合作的な中道実用路線を闡明することで憲法精神から離脱した。安保、統一、政務職の参謀に中道-左傾的人物を配置した。 10.李大統領は国軍統帥権者として、大統領府など国家指導部に軍の指揮機能を強化すべきなのに逆に弱化させた。兵役義務を果たさなかった人を集中的に要職に起用し、憲法機関である国家安全保障会議の事務局を無くしたことで事実上機能を停止させた。戦時の統制機関である非常計画委員会を廃止し、行政安全部の局レベルに縮小した。青瓦台の国防補佐官職もなくした。 11.李大統領は北韓側が開城工団職員の帰還を何度も遮断し、人質化しているのに、公団の閉鎖のような根本的な措置を取っていない。 12.北側潜水艦艇の攻撃で天安艦が沈没したことが確実なのに、北韓船舶の済州海峡通過を禁止させていない。 13.大韓民国の国民は絶対に北韓政権を国家と呼んではならないのに、李大統領は北韓政権を国家と呼ぶ(両国間云々)。 14.北核の完全廃棄前は金正日と会談してはならず、やる場合もソウルでやらねばならないのに、大統領の参謀らは再び大韓民国大統領が北韓地域を訪問するようにするなど屈辱的な会談を推進していたようだ。 15.天安艦爆沈事件が起きて40日が経っているのに、李大統領は「北韓介入の証拠なし」という姿勢を保っている。政府次元で国民世論を膺懲の方へ先導する意志が全く見られない。逆に、政権次元で報復世論に冷水をさそうという意図が見える。政府とハンナラ党は追慕雰囲気の造成にばかり努め、この雰囲気が報復の方へ変わるのを警戒する気配だ。 こういう李明博大統領の過去行跡に目を通す時、彼が天安艦爆沈の元凶が金正日政権であることを宣言し武力報復すると期待できるだろうか。希望的観測をして国民が手を拱いていたら国はどうなるだろうか? 大統領は何もしないと思って国民ができること、例えば北韓へ風船を送る運動でもやらねばならないではないか? *対北風船後援口座:国民銀行360101-04-118769(預金者:徐貞甲対北風船団)
*写真:就任宣誓をする李明博大統領(上、2008.02)、狂牛病暴力示威(中、2008.05)、轟沈された天安艦(下、2010.03)。 |