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2010年03月08日 12:02
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「金日成の愛国忠臣」尹伊桑を賛える公園が韓国で作られた!
「尹伊桑公園」の造成は李明博大統領の意志か?
金成昱
作曲家尹伊桑を賛える「記念公園」が開園する。言論報道によれば、3月19日開幕する「統営国際音楽祭」に合わせて統営出身の尹伊桑を賛える記念公園が仕上げの作業に入ったという。
統営市は、尹伊桑の生家周辺の道泉洞148番地一帯に造成中の道泉テーマパーク(尹伊桑記念公園)造成工事がほとんど完了し、3月19日の開園に問題がないという。
 
約80億ウォンが投入された記念公園は野外公演のできる音楽広場と観客100人を収容できるフリンジホール、尹伊桑の遺品展示室などで構成される。展示室の展示品のため統営市は昨年10月ベルリンを訪問して尹伊桑の遺品148種412点を家族から引受けたという。
 
1995年11月4日死亡した尹伊桑は、いわゆる「世界的音楽家(?)」として国内に宣伝されている。だが、彼の音楽性と別に尹伊桑は広く知られた反韓人士だ。彼は1967年「東ベルリン事件」に連累していた。この事件は、当時ヨーロッパに留学中の留学生などが東ベルリン駐在北韓大使館や北韓を往来したことが摘発されたスパイ事件だった。尹伊桑はこの事件で無期懲役を宣告されたが2年後刑執行停止で釈放された。
 
「統営インターネットニュース」によれば、陳義丈統営市長は、12月18日統営市議会の本会議で、「東ベルリン事件をはじめ、尹伊桑先生にかけられた誤解はすでに2006年1月『真実和解のための過去事整理委員会』で嫌疑が解消された」、「尹伊桑先生はわが国だけでなく世界的な音楽家として賞賛を受けている方」だと主張した。
 
しかし、尹伊桑の反韓行跡は東ベルリン事件に限らない。彼はこの事件後も死ぬ日まで北韓を行き来しながら親北性向の団体で活動してきた。「民建会(民主社会建設協議会)」の会長、「韓民連(民族民主統一海外韓国人連合)」の欧州本部議長、「韓国学術研究院(KOFO)」の院長、「ヨーロッパ民協(在ヨーロッパ民族民主運動協議会)」の顧問など肩書も多様だった。尹伊桑は1990年11月20日、ベルリンで南・北、海外の汎民連の3者機構で設立された「利敵団体」である汎民連の共同議長職にも就任した。
 
お前は宝山連絡所の秘密を盗んだ米帝のスパイだ」
尹伊桑の実体は、1992年「呉吉男スパイ事件」で改めて確認された。呉吉男博士は、ドイツ留学中ドイツへ政治亡命し、1985年妻と二人の娘を連れて北韓へ入り、「韓民戦」の対南地下放送要員として活動した。彼は1986年11月、「在ドイツ留学生の抱き込み帯同帰還指令」を受けてデンマークへ潜入中、コペンハーゲン空港で脱出に成功した。以降、呉博士はドイツなどで家族の救命のために苦労して、結局、1992年5月韓国に戻った。彼は現在ソウルに居住している。
 
尹伊桑は平壌側と連係して呉博士の北入りを積極的に勧誘・斡旋し、呉博士が脱出後ドイツに滞留する時もあらゆる脅迫をしながら再度北入りを勧めた。尹伊桑がドイツで設立した「韓国学術研究院(KOFO)」も平壌の対南工作機構の資金で設立し運営した組織である事実も明らかになった。
 
政府は、1992年国家安全企画部が発刊した「入北・自首スパイの呉吉男事件内容」という捜査結果発表で、「尹伊桑は北韓の政治路線に従って活動している北韓の文化工作員」と判断した。また17回も北韓に入り、金日成を接触し金日成の75回誕生日の贈り物として「わが地、わが民族よ」という歌を献呈した事実も書いてある。一部を引用する。
 
《尹伊桑は、△1980.11 北韓祖国統一民主主義戦線中央委から「高麗連邦制創立準備委員会結成のため海外代表として参加せよ」という書信を受けるなど北韓の政治路線に従って活動した、△1984.12、平壌に北韓の海外文化工作の前衛組織である「尹伊桑音楽研究所」を設立した、△1988.7、東京で政府の対北交流および開放化趨勢に便乗し休戦線で「南北合同音楽祭」の開催を提案して北韓側から即刻賛同を得るなど、北韓の文化工作に従って南北音楽祭を推進したことがあり、△今まで確認されただけでも17回も音楽祭の口実などで入北して金日成を接触する一方、金日成の75回誕生日への贈り物として作曲して捧げた反米・反ファッショ・統一闘争を内容とした「わが地、わが民族よ」など自作曲を10回にかけて演奏会を開催するなど、尹伊桑は北韓の操縦を受けて活動している北韓の文化工作員である。》
 
尹伊桑の親北行跡は、呉吉男博士が1993年ソウルで出版した「金日成主席よ、妻と娘を帰してくれ」という手記に詳しく記されている。呉博士は1985年自身の入北過程に対して次のように書いた。
 
《「尹伊桑氏が私に手紙を?」私(呉吉男)は驚き半分不安半分で手紙を貰った。なぜなら尹伊桑が北と内通していることをドイツに住む私たちは皆知っていたのだ。その上、彼は大物だった。「...艱難辛苦の末に学位を取得したことおめでとうございます。..今は民族統一運動へより積極的に臨むべき時と考えます。だから、北韓へ行って今まで覚えた知識を同胞のため使って欲しいです...」...(中略)... 尹伊桑氏は私に繰り返し勧めた。「苦労せずに北韓へ行きなさい。そこに行ったら呉博士は優遇されながら学問を成し遂げられます。」》
 
尹伊桑は、1986年呉博士が北韓を脱出した後、「恩恵を施してくれた金日成主席を裏切っただけでなく、七宝山連絡所(韓民戦傘下の対南地下放送である救国の声を専担する所)の秘密所持者だから、家族を人質として取るしかない」と言い、北韓へ戻るよう懐柔したと手記で明らかにしている。尹伊桑は、北韓に同調しない呉博士を詰問しながらこのように話したりしたと記されている。
 
《私のいうことを聞かず再び軽率な真似をしたらあなた家族を放っておかない。なぜ、人々に接近し北を悪口を言うのか。家族を失ってから気を付けるつもりか? 統一運動に乗り出せと言ったではないか? なぜ良い文を書いて新聞や学術雑誌に投稿しないか? そういうこともせず、統一運動を度々妨害し続ければ、あなたの家族は死ぬものと思いなさい。》
 
呉吉男氏家族収容所へ、数回も自殺を試
尹伊桑の恐喝は単純な恐喝ではなかった。呉博士は、1992年韓国入りした脱北者たちから家族の消息が聞けたが、その内容が凄惨だった。家族が政治犯収容所で生活し、妻は自殺を試みたという話まで聞くことになる。下は1992年11月29日付のソウル新聞には脱北者の安赫、姜哲煥氏が北の政治犯収容所の惨状を暴露しながら証言した呉博士の家族の話だ。
 
...彼らは、去る4月ドイツ駐在のわが大使館を通じて亡命した経済学博士の呉吉男氏の奥さんの申淑子氏と二人の娘、へウォン、ギュウォンだった...申アジュモ二(ばさん)は、収容所の初夜から号泣して泣いた。「幼い娘たちとこちらで獣同然の生活をして死ぬことになるとは...」だが、苛酷な寒さと飢えの中で一日中作業をするためへとへとになった人々は申ばさんの悲しい哀訴となき声に神経を遣う状況でなかった...翌日の明け方、昨夜のなき声と違った女の子たちの鋭い泣き叫び声に驚いて目が覚めた。へやの扉を開けるや布団カバーを畳んで作ったひもに申アジュモ二の首が吊るされていた...だが、この日の自殺は失敗に帰し、その後も彼女は何度も自殺を試みたが失敗した...申アジュモにが収容所に入ってきて三ヶ月ほどのときだった。明け方に「火事だ」という声で起きた...板の扉をあけるや部屋の中は煙と火でいっぱいで申アジュモニが二人の娘をわきにぎゅっと抱いたまま髪の毛と顔、手足が火に焼けて失神していた。申アジュモニを外に引き出した。彼女は地団駄を踏んで泣き叫んだ。「死ぬことが幸せなのに、なぜ止めるのか!」その日の以降、申アジュモニは気が狂ったように笑ったり話したりした。「ここは思いのままに死ぬこともできない所だから、しかたなく生きていかなくちゃ...》
 
「尹伊桑先生熱烈国者」と北韓賛され尹伊桑
尹伊桑と北韓とのコネクションを立証するように、北韓では20年余り前から「尹伊桑音楽研究所」を運営しており、平壌では毎年「尹伊桑音楽堂」で「尹伊桑音楽会」が開かれる。2008年、第27回を迎えた「尹伊桑音楽会」は、同じ年の10月15日~17日開催された。「朝鮮中央通信」の報道によれば、「開幕公演には北韓の中央芸術団体と尹伊桑音楽研究所管弦楽団、金元均名称平壌音楽大学管弦楽団の芸術家たちが出演し... 尹伊桑先生の夫人と娘、申渓輪理事を団長とした南側の尹伊桑平和財団の参観団が公演を観覧した。」
 
1992年、北韓側は尹伊桑をモデルにした「民族と運命」という映画も作った。黄長燁前「朝鮮労働党」秘書は、自身の本「北韓の真実と虚偽」の中で、「金正日が愛国的民主人士たちを引き寄せるため『民族と運命』という題名で尹伊桑先生に対する映画まで作るようにした」と触れている。
 
金正日が直接指導したという大型の劇映画「民族と運命」は、海外へ亡命してから親北に変身した人々を主人公にして北韓体制を広報する宣伝物だ。北韓の「朝鮮大百科事典」は1999年、「民族と運命」に対して「わが首領、わが党、わが人民、わが社会主義祖国が第一という朝鮮民族第一主義の思想を反映した作品」と定義している。
 
この事典は、尹伊桑を取扱った3編の映画(14部~16部)に対して「南朝鮮社会に背を向けて海外で生きながら正義の音楽創作活動を通じて祖国統一の偉業に積極的に尽くした才能のある音楽家」が、「社会主義祖国の懐に抱かれて作品をさらに立派に復元させて中央舞台に出すようになって人民たちから賛辞を受けるようになる内容」だと説明する。
 
北側が出版した「朝鮮映画(93年10,11,12号)」は、この三編の映画に対して「南朝鮮傀儡徒党の反民族的な分裂主義策動を鋭く暴きながら、社会主義祖国の懐こそ個人の希望も抱負も才能もパッと花を咲かせてくれる真の生の懐であることを力強く確証してくれる」と説明している。
 
北韓政権は、尹伊桑を愛国者として称賛する。北韓文書には「尹伊桑先生は熱烈な愛国者」、「愛国・愛族の衷情で燃える尹伊桑先生」、「敬愛する将軍様が尹伊桑先生の愛国衷情を察して尹伊桑音楽研究所を設けてくれた」などの内容がしばしば登場する。一部の内容を引用する。
 
《熱烈な愛国者でない作曲家は、愛国主義的な作品を創作できず民族を愛しない芸術家も民族のための芸術を創作できない。わが民族が産んだ世界的な作曲家の尹伊桑先生は、熱烈な愛国者であり著名な反戦・反ファッショの民主人士であることから、そのように崇高な愛国愛族の理念と全民族の熱烈な指向と念願、そして世界平和を守護しようとする人類共同の念願を真実に反映した音楽作品らを数多く創作でき、わが人民と世界の平和愛好人民たちのそのような高い尊敬と愛を受けているのである(平壌発刊「音楽研究」 1990年2号、「尹伊桑音楽研究所の研究士、李チャユン」の文から)》
 
《まさに交声曲の「わが地、わが民族よ!」は、愛国・愛族の衷情で燃える尹伊桑先生の崇高な民族的良心から噴出した傑出した作品であり...この交声曲に盛込まれている崇高な愛国・愛族の理念は、何より前の作品の主題で強く表現されている(出処は上同)》
 
《「わが地、わが民族よ!」は、愛国・愛族の衷情を盛込んだ作品の高尚な思想性と作曲家の優れた作曲技法によって担保された高い芸術性が立派に結合されたものであり...全同胞を自主と統一の救国への聖戦に呼び起こす高い思想芸術性を持った傑出した作品であり、これからわが民族の至上の任務である祖国統一を繰上げるのに巨大な寄与をすることになるだろう(出処上同)》
 
《それ(公演の成功)は、敬愛する将軍様が私たちに抱かせて下さった熱い愛と配慮の結果でできた度胸です。敬愛する将軍様がかつて尹伊桑先生の愛国衷情と才能を推し量ってわが祖国の首都の平壌に管弦楽団を持つ一流級の尹伊桑音楽研究所を設けて下さり、研究所の管理と運営に至るまで細心に面倒を見て下さらなかったら、今日のような成果を上げることはできなかったはずです...この世の中に国も多く民族も多いが、我々のように一人の作曲家のためこの上ない大きな愛と配慮を施す偉大な指導者を持つ人民はどこにもいません。(平壌発刊「音楽研究」2000年28号、「尹伊桑管弦楽団楽長金・チョルリョン」のインタビュー)》
 
金日成で「国統一のため才能を全部げる?
金日成は尹伊桑を絶賛してきた。例えば、2000年北側が出版した金日成教示集「在西独僑胞の尹伊桑一行との談話」、「在西ドイツ僑胞の尹伊桑との談話」などによれば、金日成は、尹伊桑が「祖国統一の偉業に大きな功績を築き上げた」とし、彼を「祖国統一を実現するため活動する愛国志士」と激賛した。
 
尹伊桑が「祖国統一のためこれから力と才能を全部捧げるといった」という金日成の言及も出る。尹伊桑は「主体思想は現時代に合う思想」と話し、金日成は「それは正しい話」と応じたという内容も収録されている。
 
「朝鮮労働党」は党規約で、「朝鮮労働党の...最終目的は、全社会の主体思想化と共産主義社会を建設するところにある」と明示し、このため「高麗民主連邦共和国」といういわゆる連邦制統一を主張してきた。論理的に、金日成が言った祖国統一とは赤化統一、共産統一だ。したがって尹伊桑が「力と才能を全部捧げる」と誓ったという祖国統一も赤化統一、共産統一という解釈が可能だ。皮肉なのは大韓民国だ。北韓政権の「愛国志士」の尹伊桑を記念する音楽堂の建設に1480億ウォンの国庫を使うというのだ。
 
上述した「教示集」の一部の内容を引用する。
《尹伊桑先生は汎民族統一音楽会の成果を通じて祖国統一偉業に大きな功績を築き上げました....先生は汎民族統一音楽会を通じて、北で南朝鮮当局者らの欺瞞宣伝を破るのにも大きく貢献しました....先生が祖国統一のためこれから自らの力と才能を全部捧げるというが、非常に良いことです。私は先生がこの事業で大きな成果を収めるだろうと信じます(在西ドイツ僑胞の尹伊桑一行との談話、主体89-2000年1月20日)》
 
《先生が民族の団結と祖国の自主的平和統一のための南北同胞会議の招集問題を提起したが、それに対して簡単に話します。私は南北同胞会議を開こうという先生の提案が非常に良い発起と思いながら全面的に支持します。..私は先生のように民族の分裂を終わらせ、祖国統一を実現するため積極的に活動する愛国の志士たちがいるから祖国統一の偉業は必ず繰上げられると確信します(在西ドイツ僑胞の尹伊桑との談話、2000年1月20日)》
 
《先生が主体思想は現時代に合う思想と言ったがそれは正しい話です。我々が革命と建設において百戦百勝し、大きな勝利を収めているのは主体思想を指針としているためです...いつでも先生がまたきて会える機会があることを願います(在西ドイツ僑胞の尹伊桑との談話、2000年1月20日)》
 
《偉大な金日成大元帥様は次のように教示された。「私が尹伊桑先生を大事にせねばならないといったのは音楽界でそのような才能のある人を滅多に見られないからです...彼はわが民族の貴重な財産であり才幹坊です」(平壌発刊「音楽研究」2000年28号、李・チョルウが書いた「私が体験した尹伊桑音楽」から)》
 
偉大首領様、永生不滅なさいませ
北韓の「文学芸術出版社(主体92(2003)年出版)」が出した「永遠の思い出」という本には金日成死亡および死亡1周忌の時、尹伊桑と妻の李水子氏が書いたという手紙も収録されている。
 
尹伊桑の手紙は、「いつまでも冥福をお祈り致します。永遠にわが民族の光栄を守って下さい」、「わが歴史上最大の領導者である主席様の意を一層礼賛し、一日も早く統一への前途に邁進することを確信します」など、金日成への称賛一辺倒になっている。
 
写真として撮影されている妻の李水子の文は、金日成死亡5年をむかえて錦繻山記念宮殿の芳名録に書いたものだ。この文は、「ア-首領様、首領様、偉大な首領様!」、「なにとぞ平安を享受され永生不滅なさいませ」、「首領様を限りなく欽慕し首領様の霊前にお辞儀をします」などの内容になっている。「永遠の追憶」に収録された尹伊桑夫婦の手紙を引用する。
 
《ア-首領様、首領様、偉大な首領様!…首領様が亡くなられていつのまにか5年の歳月が経ちました。代を継がれた将軍様が一寸の抜かりもなく国を治めていることを首領様が見ておられるでしょう。どうか平安を享受され永生不滅なさいませ。わが疆土を護り、民族の念願である統一を開いて下さい。首領様を限りなく欽慕し首領様の霊前にお辞儀をします。(主体88年7月8日、李水子)》
 
《空が崩れたような衝撃とこの身が木っ端微塵に砕けるような悲痛な心で偉大な首領様の逝去の通知に接して虚脱状態にあるこの身が病中であるため走って行ってお目にかかれない痛恨の心情を申し上げ、全民族が一様にわが歴史上最大の指導者である主席様の意を一層礼賛し、一日も早く統一の前途に邁進することを確信します。(1994.7.9、パリで治療中の尹伊桑夫婦)》
 
《偉大な金日成主席様の逝去1周忌を迎えてその英霊の前に深甚な哀悼と欽慕を痛感し、永遠に冥福を祈ります。果てしなくわが民族の光栄を守って下さい。ドイツ・ベルリンの病院から尹伊桑が慎んで申し上げます。(1995年7月8日)》
 
《首領様! 偉大な首領様! 首領様が愛して可愛がって民族の才幹坊と呼ばれた私の夫の尹伊桑は今日病院の病床に横になっていて私と一緒に首領様の霊前へ行って首領様にお目にかかれません。宇宙万事の原理とは言え、首領様が我々のそばから去られてすでに1年の歳月が過ぎました。しかし、私共は常に首領様が私共のそばにいらっしゃることを感じ、首領様を追慕する時ごとにその慈しみ深く人情の多く涙の多い、宇宙のように広い徳性と度量、世の中の最高の賛辞を上げても足りない首領様、生きておられてもそうであったように亡くなった後も何卒不遇なわが民族の運命を察して下さい。首領様の霊前で無限の平和と冥福を祈ります。 (1995年7月8日. リ数字)》
 
尹伊桑げる南
新北左派が勢力を拡大しながら尹伊桑は国民的美化の対象になってきた。2007年9月、李水子氏は左派政権の公式招請で訪韓して盧武鉉前大統領夫婦に会った。盧前大統領は当時李氏の挨拶を受けて「尹先生の生前に来られたら良かったのに」と残念な思いを表明したりした。
 
尹伊桑を記念する「尹伊桑平和財団(理事長朴在圭元統一部長官)」には李明博大統領も参加した。
2007年3月、財団側はいわゆる「尹伊桑誕生90周年」を迎えて各界から90人の委員を委嘱した。財団側が同月27日公知したことによれば、90人の委員には、「朴元淳・美しい財団常任理事、鄭明和チェリスト、黄芝雨・韓国芸術総合学校総長」を共同代表として、「鄭東泳、丁世均、金槿泰など元ヨルリンウリ党議長、李在禎、丁世鉉など元統一部長官、権永吉、魯会燦など元民主労働党議員、孫鶴圭前京畿道知事、白楽晴「6.15実践南側委常任代表」などの他にも、「李明博前ソウル特別市市長、金台鎬慶南道知事、元喜龍ハンナラ党議員、洪錫炫中央日報会長」が参与したという。
 
財団理事長の朴在圭前長官は、「尹伊桑平和財団」と「尹伊桑先生の業績と崇高な民族への愛の意を継承する」と説明しながら、「民族の和解と韓国文化の世界化のための明確な里程標として先生は私たちに近づいている、ゆっくり一歩一歩ずつ成遂げられなかった尹伊桑の夢に向かって進もう」と表明している。
 
2002年3月設立された財団法人「統営国際音楽祭」も状況は同じだ。「故朴晟容錦湖アシアナグループ名誉会長」が初代理事長だったこの財団は、現在「陳義丈統営市長」が名誉理事長であり、「李洪九元国務総理と朴魯興馬山MBC社長」が理事長と副理事長を務めている。その他理事としては、「高建元国務総理、具相植統営市議会議長、高銅柱前統営市長、尹伊桑の長女ユンジョン、尹石花月刊客席代表、Uwe Schmelter前ドイツ文化院長、崔・ジョンホ音楽評論家、尹建鎬アリランTV本部長」をはじめ、ハンナラ党所属の「李君賢議員と金台鎬慶南道知事」も含まれている。
 
「保守政権」の下で80億ウォンの国庫を支援して「尹伊桑公園」を作るという事実に絶望感を感じる。尹伊桑の実体はすでに公知の事実だ。政府も知らないはずがない。ところが白昼でこういうことが起きる理由は何か? 「尹伊桑平和財団」に参加した大統領の意志か? それとも政権与党のハンナラ党が集団的に国家のアイデンティティは放棄することを決意したのか?
 
写真一番上は尹伊桑の妻李水子が平壌の錦繻山記念宮殿を訪問して書いたもの。「偉大な首領様、永生不滅なさいませ」という内容が読める。その下はこの写真が載った北が発刊した本。その下は金日成教示集。下は尹伊桑を北韓の愛国者として称賛する北韓書籍ら。
 
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