鄭昌仁
19世紀末の英国の哲学者ハーバート・スペンサーが言った言葉の中にこういう話がある。暴君と奴隷は根本的に同じ人間だと。人は誰でも譲れない人権を持っている。にも拘らず他人の人権を踏みにじる暴君は、自らの人権を尊重しない人であり、したがって彼は奴隷と全く変わらないということだ。人格者は他人の人権も侵害しないが、自分の人権が侵害されるのも望まない。金正日を見ると彼がまさに暴君であり、それはつまり金正日は奴隷根性に浸った人間以下の者ということだ。ところで、自由世界で最も強力な指導国であるアメリカを友人としている韓国が金正日一人をまともに取扱えず狼狽している。なぜだろうか?
この前、李明博大統領がアメリカを訪問していわゆる「グランド・バーゲン」の発想を発表した時、私はこれがまさに親北左派政権が推進した政策という点を説明したことがある。金正日が核武装を目論む理由はアメリカの敵対政策のためであり、したがってアメリカが金正日の体制を保障すれば金正日が原爆を放棄するだろうという宣伝はまさに親北左派が好んで使う論理だ。ところがそれを李明博政府ががぶりと呑んだのだ。北韓が原爆さえ放棄すれば体制を保障するといった。
ところが、数日前オバマ大統領が訪韓した後、クリントン国務長官がまた似た案を出した。北韓が「6者会談」に復帰し、原爆さえ放棄すれば「平和協定」も締結し、経済支援もするということだ。結局、金正日があらゆる乱暴を働きながら要求したものを全部与えるという宣言だ。
ところで、李明博大統領に、またオバマ大統領やクリントン長官に訊ねたいことがある。果たして「金正日体制」の保障は誰が望んでいるのかという点だ。言い換えれば、韓国政府やアメリカ政府が、北韓住民を代弁しているのかそれとも独裁者の金正日を代弁しているのかが訊きたい。韓・米両国が、金正日が核さえ放棄すれば体制も保障し、経済も支援すると言ったが、それが果たして北韓住民が望むことなのか、北韓同胞に訊いて見たのかを訊きたいということだ。
李明博大統領もオバマ大統領も、自由な世界で個人的自由権などを最大に保証されて人間らしく生きている。自分たちは保障されたこの基本的権利が、北韓住民は剥奪されている。それにも、彼らは自分たちの自由さえ侵害されなければ北韓住民の自由がどうでも関係ないという姿勢を取っている。基本的良心を持った人ならこういう姿勢は取れないはずだ。では、李明博とオバマが果たして自由世界の指導者という尊敬を受ける資格があるのか考えざるを得ない。
でなければこの二方は正しいことを正しいと主張もできない卑怯者ではないか問いたい。表ではあらゆる名誉を享受していながら、内面的には正義を代弁することを恐れ、不義と妥協して無事に自分たちの任期さえ全うすれば良いと考えているのではないのかと訊きたい。どれほど偽善的で、吐気のする行動なのかは言うまでもないはずだ。
事実、世の中を生きてみると当然のことを主張するのにも勇気が必要な場合がある。だが、いわゆる社会的指導者を自任する人々が、正義を主張することを躊躇い、権限があるといって不義と妥協するなら、果たして彼らを指導者と呼ぶ理由があるのかと思うようになる。
いったい、金正日の何が怖くて自由世界の指導者という人々が金正日に言うべきことが言えず、金正日がならず者のように振舞っても、ただ振回されるのか理解し難い。そうしながらも、彼らは俺が大統領だの自由世界の指導者だのと大手を振られるのか? ただ、ちゃんちゃらおかしい。いったい何が「平和協定」で「体制保障」なのか? 北朝住民に訊いてみたのか? 北韓住民が金正日を救ってくれと哀願でもしたのか? いったい李明博大統領とオバマ大統領は誰を代弁するのか? 北韓住民かそれとも独裁者の金正日か? あまりにもやさしい質問だから答えるのに考える必要もないだろう。北韓住民を代弁せねばならないという返事が出ないと、私はこの二人を躊躇わず卑怯者と呼ぶ。
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