外交安保研究所教授 尹徳敏
1989年、フランス商業衛星が撮影した寧辺核施設の写真が公表されて以降、国際社会はこの20年間北韓と(北核)交渉を続けてきた。その間も北韓は核兵器開発を継続し、その対内外利益を極大化したうえ、交渉で「核カード」を切ってきた。
過去の歴史を通して見ると、北韓が軍事的緊張を高めるのは、北韓内部の状況と直結していることがわかる。最近1年以上続いた南北軍事的異常状態はやはり、金正日の健康異常およびこれに伴う後継者問題と結びついている。
現在の北韓内部の様相は、1960年代末、金正日が金日成から(次期後継者として)権力を承継しはじめた時期と非常に似ている。
当時、非軍人の幹部が粛清され、軍部が政局を主導した。党政治局メンバー13人中7人が現役軍人であり、非常に強硬な対韓革命(統一)路線をとった。1968年1月21日に青瓦台(大統領官邸)襲撃事件、その2日後には米海軍情報収集艦プエブロ号だ捕事件を起こした。まもなくして韓国東海岸に20~30人の武装ゲリラを侵入させた。南北分断以来、軍事的緊張がもっとも高まった時期だ。
しかし1972年7月4日の南北共同声明を契機に、軍部首脳は極左冒険主義者と断定され、その大部分が粛清された。この粛清劇は金日成の唯一支配体制が構築される契機ともなった。軍事緊張がもっとも高まった1968年当時、金正日は26歳だった。
そして今、金正日は軍首脳部の人事異動をしながら、国防委員会の権限を強化する憲法改正も行ったし、これまで党の統一戦線(事業)部に任せてきた対韓工作事業を軍部に引き受けさせた。ミサイル発射や核実験強行、「150日戦闘」による住民総動員態勢は、金正日が息子を後継者にする状況をつくる過程だ。
金正日の狙いは米国との直接交渉を通じて、インドやパキスタンのように「核保有国」と認めさせる、金銭対価を得る、米国との国交を樹立することだ。あわよくば三つとも同時に得るというのが北韓の考えである。
北韓は内部固めを終え、次の段階である「外部環境整備」に乗り出した。訪北したクリントンや温家宝との会談に続いて、李明博大統領にも「メッセージ」を発信している。核をカードにした、経済援助を受けるための地ならしである。
金正日はクリントンに会って、非核化問題に言及し、米北直接交渉の環境を造成した。しかしこの時は6カ国協議復帰には触れなかった。6カ国協議復帰カードは、北韓が(議長国である)中国に切るカードであり、温家宝と会談した際、このカードを切った。6カ国協議には永遠に参加しないとの姿勢を変え、米北関係が敵対関係から平和関係に転換したら「多者会談」には参加することを約束したのだ。結局は、中国から援助を引き出すため「6カ国協議」を取引材料にした。
韓国の新政権に対しては昨年2月の発足以来接触を行わなかったが、8月、金大中元大統領弔問団が「金正日の特使」と言いながら李明博大統領との面談を要請した。そのおり北韓側は南北首脳会談開催に言及したと報じられた。南北対話再開にあたって「首脳会談」を劇的に使うのはいつものことである。
北韓は日本に対しても接近しようとするだろう。とくに民主党政権に大きな期待をもっているようである。小沢幹事長は自民党幹事長時代の1990年、金日成と会っている。北韓の日本に対する関係改善の期待感は大きい。
したがって北韓は、米国には核問題、韓国には首脳会談、日本には拉致問題を主要軸に接近してきそうである。
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