ログイン 新規登録
最終更新日: 2024-07-09 12:52:34
Untitled Document
ホーム > アーカイブ > 小説
2009年09月11日 10:14
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
序曲(39) 金鶴泳

 祥一は、虚脱した心で真っ直ぐ下宿に帰った。それは、虚脱感というより、むしろ苦痛に近かった。その頃、祥一は、こんなことを日記に書きつけている。
「九月十×日。暑りときどき雨。
 地球から打ち上げたロケットが、はじめて月に到達した日。一昨日ソ連が打ち上げた月ロケットが、三十五時間後の今朝六時すぎ、月に到達したというニュース-アメリカかどこかの天文台からのニュースを、十分と経たぬうちに耳にできる-考えてみれば、ずいぶん驚異的な科学の発展である。科学は際限なく進歩して行く。しかし、人聞という生き物は旧態依然である。月にロケットが到達しても、人間は相変わらず苦しみ、悲しみ、寂しがり、そして泣く。相変わらず矛盾をはらんだままである。感情の生き物である。科学は、そんな人間の感情を滑稽に思いながら、ナンセンスだと突っぱねて、独走しているかのようだ。どこかで破綻しないだろうか?」


「九月十×日。曇り。
 いろいろなことを考えて、やりきれない心持に陥ることがしばしばある。いまでこそ、試験勉強にあくせくしていなければならないことを、ずいぶん苦痛に感じているけれども、しかし、考えてみれば、こうしていやが応でも勉強せざるをえないでいるときの方が、かえって救われているのではないか。試験から解放されたとき、またあの虚脱状態、空(うつ)うな気持にみまわれるのではないか。人生に対する例の漠然とした、寂しい不安に陥って、苦しい思いに胸を締めつけられるのではないか。そして、本を読む気にもなれず、街をさ迷い歩き、酔うことによってすべてを忘れようとする、あの生活がまた舞い戻ってくるのではないか」
 そして、試験最終日の前日の日記には、こう記されている。
「九月二十×日。晴れ。
 わけもなく胸が辛くてならぬ。蒼白な顔面と、カサカサに乾いた唇と、何ものをも感受しえぬ圧し潰(つぶ)されんばかりの脆弱(ぜいじゃく)な胸郭と、光も潤いもない空ろな眼(まなこ)。これは人聞ではない。廃物化した細胞の寄り集まりにすぎない。
 明日の統計学の準備をいい加減なところで切り上げて、ウイスキーを飲み、十一時就床」
 いま思えば、一種の神経衰弱に陥っていたのかも知れない。とにかく、彼はそんな心の状態で、二年前期の期末試験の最終日を迎えたのだった。
 湯島の下宿に帰ると、彼は鞄を机の上に放り投げ、畳の上にごうりと横になった。試験から解放されたというのに、どうにも気が滅入ってならないのだが、それが何のせいなのか、彼にもわからない。
 その日は朝のうちは雨催(あまもよ)いの曇り空だったが、昼近くになるにつれ、雲が薄くなり晴れ間もときどき顔をのぞかせるようになった。腕まくらをしながら、彼はしばらく窓の外の空に目をやっていた。階下で、家主の小学生の息子が、何やら騒いでいる声がきこえた。その声を打ち消そうとするかのように、彼はつと立ち上がって、机の上のラジオのスイッチを入れ、また腕まくらで畳に横になった。
 小学校に通っているはずなのに、家主の息子はときどき学校を休む。今日も休んだのだろう。一人息子だけに、家主は、夫婦とも、息子が可愛くてならないらしかった。学校を休んでも、注意めいたことはいわないらしかった。
 彼は、ラジオをきくともなくききつつ空に目をやっていた。曇り空に青間が次第にひろがって行くようだ。

1984年8月11日8面掲載

1984-08-11 8面
뉴스스크랩하기
小説セクション一覧へ
金永會の万葉集イヤギ 第15回
金永會の万葉集イヤギ 第16回
金永會の万葉集イヤギ 第17回
ソウルを東京に擬える 第31回 居酒...
韓商新会長に柳和明氏
ブログ記事
マイナンバーそのものの廃止を
精神論〔1758年〕 第三部 第28章 北方諸民族の征服について
精神論〔1758年〕 第三部 第27章 上に確立された諸原理と諸事実との関係について
フッサール「デカルト的省察」(1931)
リベラルかネオリベか
自由統一
金正恩氏の権威強化進む
北韓が新たな韓日分断策
趙成允氏へ「木蓮章」伝授式
コラム 北韓の「スパイ天国」という惨状
北朝鮮人権映画ファーラム 福島市で開催


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません