趙甲済
李明博大統領は今日、来る「8.15特別赦免」の対象には、庶民たちの「生計型犯罪」だけを対象にすると表明した。李大統領は7月27日午前、KBS第1ラジオと交通放送(TBS、TBN)の動画共有サイトである「ユーチューブ」を通じて放送された、20回目のラジオ・インターネット演説の「こんにちは、大統領です」でこう話した。20回目の特集として、KBSの閔・ギョンウク アンカーとの対談形式に進行されたこのラジオ番組で、李大統領は「企業家たち、または公職者たちなどの色々な階層から赦免を求めているが、今度の『8.15赦免』は専ら生計型の赦免、農民、漁民または庶民、自営業者、また特に生計型の運転をして運転免許が停止された方々を探し出して行なう」と話したという。
李大統領は、「大体150万人程度のそういう方々は、例外なしに100%救済される」と明らかにしたという。
李大統領のお話を聞くと、この方が「庶民」を特権階級のように見ているのではないかと思われる。庶民は赦免し、企業家は赦免しないという基準が果たして法治国家で成立つのか? 大韓民国の憲法は階級的特権を否認する。財産が多いからといって特権を享受してもならないが、財産が少ないからといって特権を享受してもいけない。
大韓民国の憲法11条は、<すべての国民は法の前に平等だ。誰でも性別、宗教、または社会的身分によって政治的、経済的、社会的、文化的生活の全ての領域において差別されない。社会的特殊階級の制度は認められず、如何なる形でもこれを創設できない。勲章などの栄転はこれを受けた者にのみ効力があって、いかなる特権もこれに伴わない。>と釘を刺した。
庶民とは誰なのか? 果たして客観的基準があるのか? 農民、漁民、自営業をやれば無条件庶民なのか? 財産が100億ウォンを超える漁民や自営業者も庶民なのか? そのような人々を排除すると、財産の大きさを基準として赦免の可否を決めるから、憲法精神の違反だ。
言論は便宜上庶民と呼べるだろうが、この曖昧な単語を基準として大統領が法的措置を取るのは非常に危険だ。財産の多少を基準にして大統領の赦免権を行使するのは、憲法違反であり権力乱用に該当する。法を善心用として適用するという非難を免れられない。
「生計型の運転」をして運転免許が取り消しになった人々を、親切にも捜し出して赦免するという話も理解できない。「生計型運転」とはどういう意味か? 職場に行くため運転するのは「生計型」で、休暇に行くのは非生計型の運転という意味に聞こえる。それなら病気見舞いに行く途中事故を起こした運転者は、生計型なのか、でないのか? 庶民であるかどうかに、運転の目的を確認して赦免の可否を決めるのもおかしいが、行政技術上果たしてこういう分類が可能だろうか?
このように大統領が不法を犯した庶民たちのため計らうと、遵法生活する庶民たちは何なのか? 「遵法生活者」たちが李大統領に望むことは、「頼むから法の通りし、世の中をちょっと静かにさせてくれ」ということだ。 それでこそ、余計なことに気を遣わず、生業に専念できる。李大統領は、法を違反した庶民らに対してはキメ細かく気を遣うが、順法庶民に対しは無関心だ。その証拠が「双龍自動車事態」だ。多数の双龍自動車の職員(相当数が庶民だろう)は仕事がしたいのに、暴徒化した労組員らが火炎瓶、私製大砲、鉄パイプ、竹槍まで用意して職場を閉鎖し、警察に抵抗している。警察が、装備がなくて鎮圧できないのではない。大統領が日頃から左傾暴徒らを恐れていることを、彼らがケガをするか死ぬのを警察官がケガするか死ぬよりもっと心配するということか分かるため、暴徒らに毎日やられているのだ。
不法行為者たちを厳しく処断し、誠実に生計を立てていく庶民を保護することが、本当に庶民を助けることだ。「不法庶民」を赦免することは、潜在的犯罪者らの犯法意志を励ますはずで、これは「遵法庶民」たちを苦しくするだろう。つまり、「不法庶民」の赦免は、「遵法庶民」に対する苛めだ。
「不法庶民」に対する赦免措置が、いわゆる「中道実用路線」によるものだそうだが、それなら「中道実用」とは、「憲法精神の通りやらない」、「法を庶民用や善心用(ばらまき)に執行する」という意味になる。それは「中道」でも「実用」でもなく「反法治」だ。法治の責任者が、不法と遵法の間で「中道」を追求すると、警察は暴徒と良民の間で中立することになる。今、「双龍車事態」でそのような現象を目睹する。「李明博式の中道実用」は、韓国の幼い民主主義を成熟させねばならない段階で、むしろ世間知らずレベルに格下げさせる危険がある。
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