趙甲済
ベネチアのサン・マルコ広場には、「ドゥカレ・パルラチョ」という口字形の壮大なベネチア共和国の政府庁舎建物がある。要塞のような建物の中に中庭がある。そこから2階に通じる広い階段の上、ここで西暦1355年、国家元首のマリノ・,パリエルは金色の元首帽を取られ、白髪の首を討たれた。「10人委員会」の一人の委員が槍の先で頭を刺し、この建物のバルコニーに出て、群集に「国を裏切った者に正義を具現した」と大声で叫んだ。元首以外に11人の陰謀者らは斬首刑より一級低い絞首刑にされた。
この事件はパリエル元首が民衆蜂起を扇動して共和制を転覆する陰謀を計画中発覚されたクーデター未遂だった。たとえ、未遂事件と言っても、ベネチアの支配層は彼らの国憲と憲政に対する挑戦に容赦ない膺懲をしたのだ。国家元首でも容赦がなかった。ベネチアの人々は1100年間独立と自由を護ってきた輝かしい歴史を持ちながらも彼らが書いた文中では独立や自由のような言葉がそれほど見付からないという。ベネチア人はスローガンや扇動が好きでなかった。
徹底した現実主義者の彼らは、自分たちに利益になるため国家の独立と個人の自由を追求したのだ。そのような実利追求を格好良い言葉で美化することもしなかった。彼らが共和制を血をもって死守したのも、ベネチア人の生の様式を支える制度としての共和制が必要だったからだった。韓国が社会主義を拒否するのも、社会主義が韓国人の資本主義的生の様式を破壊するからだ。
わが刑法の93条は、外患罪の一つとして「与敵罪」を設けている。
「敵国と力を合わせて、大韓民国に抗敵した者は死刑に処する。」
北韓政権と力を合わせ、大韓民国のアイデンティティと正統性を否定し、憲法秩序を倒そうとする者がこの罪に該当する。国民を騙してお金を送り、北韓の核開発を助け、「連邦制」を推進した者はこの罪で裁かれねばならない。 刑法の中で「与敵罪」のみが死刑だけを宣告するように規定している。国家に反逆する罪は、殺人・強盗よりも共同体にもっと大きな危害を与えるためだ。
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