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2009年02月13日 02:15
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自叙伝に見る朴槿恵のアイデンティティー‐(上)
最も大きな問題は、韓半島を巡って繰広げられた60年間の激しい理念戦争と思想対立に対する認識の不足!
李柱天(圓光大学史学科教授、国際現代史研究所所長、www.leejucheon.com)
 朴槿恵前代表(ハンナラ党)は最近次期大統領候補に関する世論調査で不動の1位を保っている。2位との差も大きい。ところで、朴槿恵は野党が主導した「12.18国会暴力占拠事態」に対し、「両非論」を言って物議をかもしたが、特に、保守右翼の論客たちから叱咤されている。1月5日、朴槿恵は「法案の是非を離れて、国民統合のため多数党のハンナラ党が一歩進むべきではないかという考えだ」と言い、「指導部がその間大いに我慢されたというが、多数党として国民の前に大きな絵、大きい姿をお見せしなければならない」と指摘した。
 
 朴槿恵は、昨年、100日間も親北左派が乱動を繰広げた「狂牛病-ロウソク示威」でも、李明博政府の拙速協商を批判し、牛肉問題は理念問題でないと断言した。それだけでなく、朴槿恵のファンクラブの「バクサモ(朴槿恵を愛する集い)」はロウソク示威にも猛烈に加担したりした。ハンナラ党の元代表の朴槿恵の態度に、保守右翼がめまいを感じるのは当然だ。これと関連して、前の大統領選挙の時から提起された朴槿恵のアイデンティティに対する疑問と、政治的リーダーシップに対する検証問題が再登場せざるをえない。
 
 朴槿恵の自叙伝である、「絶望は私を鍛練させ、希望は私を動かす」(ウォズダムハウス、2007)は、朴槿恵のアイデンティティとリーダーシップの形成過程が分かる端緒を提供してくれる。この本で、彼女の身辺の話が女性の繊細な感覚で平易に叙述されている。朴槿恵は、早く歴史小説に興味を持ち、三銃士、三国志などを読み、他の青少年らと同様にヘミングウェイやシェークスピア、タルムード文学作品に心酔していた幼い時期があった。朴槿恵は母親の陸英修女史の厳格な家庭教育の中で育ったことを大きな誇りにしている。幼い時期から日記を書きメモする良い習慣をつけたし、西江大学電子工学科に入学して首席で卒業した。宗教的信仰ではカトリック系の中学校に通い、篤い仏教の家風でキリスト教と仏教が内心で共生する混合的姿を見せる。両親を亡くした後、心的打撃を受けたが、丹田呼吸やヨガで健康を取り戻したという。
 
 金大中拉致事件で、「父(朴正煕)は無関係だ」と証言しており、巷を騒がせた「鄭仁淑殺害事件」と彼女の息子も、朴正煕と無関係だと証言している。陸英修女史が文世光の銃弾によって死亡した後、ファーストレディになった朴槿恵は、20代にすでに驚くほどの話術と協商力、将来の指導力の潜在力を見せてくれた。1979年、カーター大統領の訪韓の時、ロジャルリン女史と朴槿恵はジョギングに関する対話をした。元気な人と手術したばかりの人は、ジョギングの強度が違う。そのように、国も同様だ。韓国が北韓の南侵の威嚇に直面しているため、優先順位が戦争を防止する安保や飢餓から抜け出る経済成長が、韓国の最も重要な課題だ。このようにロジャルリン女史を説得したという(p.122)。ロジャルリンはカーターにこの対話の内容を伝え、カーターは駐韓米軍の撤収(計画)はなかったことにすると、朴正煕に約束したという。朴正煕は長女に「大きな事をなした」とほめた。
 
 朴槿恵の強みは、両親を失う過程で権力の無常や虚無を理解した政治家になったという点にある。また、党代表の時、比例代表に対して公認を行使しなかったという点で、原則と所信、節制のある政治家として目立つ。
 
II. 政治家の朴槿恵、何が問題なのか?
 
 朴槿恵は、他の政治家のように短所や問題点も持っている。①左派の実体に対する安易な認識、②2002年の大統領選での政権交替の失敗から自由でないという責任論、③北韓金正日体制に対する認識の甘さ、④金大中との癒着疑惑などが挙げられる。
 
1.民主化勢力に偽装した左派勢力に対する認識の安易さ
朴槿恵の自叙伝の中では、「左派」という言葉は一節も見られない。次の一節から、「民主化運動」ないし「左派」に対する認識がよく現れている。
 
 「私は、父とその世代がこの地の産業化のため流した汗と涙を大切に思うくらい、この地の民主化のため苦労した方々に対して高く評価する。事実、父の時期は北韓の南侵威嚇から国を護り、貧困と飢餓から抜け出ることが何より急務だったので、『民主化』という側面で足りない面もあった。そしてその過程で、民主化運動をして不本意に被害をこうむられた方々もおられた。
 
 私は、常にそういう方々に申し訳ない心を持ってきた。大韓民国の今日を創るのにその方々の犠牲もまた貴いものだった。私はその方々にまともに報いる道は、父が為せなかった民主化を満開させ、豊かな国を創るため努力することだと考えている。」(p.155)
 
 朴槿恵は、「父が為せなかった民主化を満開させたい」と言ったが、現在大韓民国の「民主化指数」は、先進国の指数を上廻しており、地球上に大韓民国よりももった民主化が進捗した指数の高い国があるのか訊ねたい。この国は民主化がはかどりすぎて問題であるのを本当に知らないというのか?。そうだから、昨年の親北左派が火を付けた「ロウソク乱動」に対しても、朴槿恵は、「理念の問題でなく、食べ物のことだ」と言い、大きな論議の種を提供した。国民統合の指導者として自分を位置づけようと、努めて頑張るのは高く評価したいが、激烈左派の乱動はどう処理するつもりか? その時も、公権力を投入せず、不法示威者らと合意やら妥協をうんぬんするつもりなのか? 「民主化勢力」に偽装した勢力が、暴れまくり、安保危機を煽りながら、大韓民国のアイデンティティを害したらどうするつもりか? この点に対して朴槿恵は何の解答を持っていない。ちょうど票のみを追い続けるポピュリストの姿をまさに見せてくれる。
 
2.2002年の大統領選挙敗北の政治的責任論
 朴槿恵は、1997年のIMF事態に衝撃を受けたのが契機になり、その年の12月に政治に入門し、再選議員だった2002年2月28日、政治改革を名分に突然離党して世人を驚かせた。離党の名分は、党の総裁職を大統領選挙の前に廃止して「党権」と「大統領」を分離し、ボトムアップ式に公認制度を改革し、党財政の透明化や、大統領候補選に国民参加の予備選挙制度を導入することを要求したが、これが受容されなかったことだった。その後、「韓国未来連合」という政党を作り、平壌を訪問してから言論の注目の対象になった。朴槿恵は、11月19日、大統領選選対委の議長としてハンナラ党に復帰した。選挙をわずか半月残しての決断だった。李会昌-朴槿恵の分裂が赤裸々に露出された当時、盧武鉉-鄭夢準の候補一本化が言論放送媒体やインターネットの熱い注目を引いていた。有権者に映ったハンナラ党の否定的イメージに対する朴槿恵の責任が少なくないはずだ。それで、いくら「政治改革」の主張が受容れられず離党したと言っても、朴槿恵は国民が熱望した2002年の政権交替の失敗という政治的責任から完全に自由なはずはないのだ。政治改革という名分はともかく、ハンナラ党の分裂を露呈して盧武鉉候補の当選に有利な反党・利敵行為をしたことは間違いない事実だ。政治的判断力の未熟だと言うべきか? でなければ高度の策略的次元からだったのか? この点が釈然としない。
 
3.北の金正日共産首領独裁体制に対する問題意識の欠如
 朴槿恵は、「反共」を国是として「5.16軍事革命」を率いた朴正煕の後継者だ。だが、不幸にも北の共産主義の実体に対する深い理解と洞察力がないこと、つまり、工科大学の電子工学出身という専門の限界を克服できないことが致命的だ。朴槿恵の訪北招請は、北側が提案したもので、公式的には朴自らが理事だったヨーロッパ・コリア財団の招請で実現した。金正日は、朴槿恵に会った席で、1968年、北韓特殊部隊が青瓦台を襲撃した事件に対して謝った。金正日は、通常、自身が指示した部下らを「極端主義者」にして彼らに過ちを擦り付ける。「当時、極端主義者らが過ちを犯しました。申し訳なく思います。過ちを犯した人々はみな応分の罰を受けました。」
 
 朴槿恵との会談で金正日は、南・北韓の鉄道の連結に高い関心を示した。南・北韓の鉄道の連結を通じて、韓半島を物流基地にし、南・北両方の経済的利益を創り出そうという朴槿恵の提案に、金正日は強い肯定的意向を示したそうだ。朴槿恵と金正日は、南・北韓の東海線の連結を通じて、シベリア鉄道にまで連結させる方案を実践するための現実的問題らに対して意見を交わした(p.199)。驚くべきことに、この件では、朴槿恵の提案が金大中の対北提案とほとんど大同小異だという点が分かる。どれほど真面目で素朴な提案だろう! 中断された南・北韓のスポーツ交流を通じ、和合の場を開くという約束もさせたという。
 
 金正日は、朴槿恵と約束したことを一つずつ実践に移すように見えた。9月の赤十字会談で、北側が先に「6.25戦争」中失踪した軍人を探す提案をして南側を驚かせたという。朴槿恵は、国軍捕虜が阿吾地のような炭鉱で賦役していることも知らないのか? また、戦争中行方不明になった人々の住所を確認するように金正日が直接指示したと伝えた。朴槿恵が見るには、北韓の態度は非常に積極的だった。南・北韓間の「統一サッカー」が12年ぶりに開催され、釜山でのアジア競技大会に、南北の「単一チーム」を構成することができた。
 
 平壌訪問は、朴槿恵の北韓に対する認識が否定から肯定に変わる重要な契機になった。「金正日委員長は、互いに心を開き、合意した約束らをできる限り全部守ろうと努力する姿を見せた」(p.203)。「まさに真実を土台に、相互の信頼を築いてこそ、前向きの協商や約束が期待できる」、「北側とざっくばらんに対話をすれば彼らも約束した部分に対して守ることは守ろうと努力する。私は北韓訪問を通じてこのような確信を得た。」
 
 朴槿恵は、2005年6月、外信記者クラブ招請の記者会見で、金正日に対して、「金委員長と離散家族面会の常設面会所などを約束したが、ほとんど守られた」と言い、「約束を守ろうと北が
相当努力した」と話した。朴槿恵が具体的にどういう内容を持って会談したのかは正確に知らないが、金正日に対して「約束をよく守る人」と言ったのは、金大中の「識見がある」とか、鄭東泳の「肝っ玉が大きい」という発言と相通じるもので、当然金正日に対して同情的な見解を持っていることを推察させる。
 
 2007年2月、朴槿恵はアメリカを訪問して、ライス国務長官に会う機会を得た。ちょうど米・北間の「2.13合意」がなされた直後だったため、ライスの表情は明るく見えた。ライス長官は、北核問題の解決のための意志を強く見せただけでなく、北韓住民の人権問題も米国の主要関心事である点を明確にした。「北韓の核問題解決だけでなく、窮極的に北韓は開放しなければなりません。北韓住民らが受ける苦痛がわれわれを悲しくします」(p.294)。遺憾な点は、この接触で北韓人権を強調した側は、ライスでなく朴槿恵であるべきだった。この会談でだけでなく、朴槿恵は平壌訪問以後北韓人権に対して永らく沈黙している。金正日とどういう合意をしたかは分からないが、北韓人権や北韓の改革開放に対する言及を一切自制している。
 
 すでに50代の半ばを超えた朴槿恵は、解放後の南・北韓の関係が、北韓の金日成-金正日共産体制の如何に多くの休戦協定の約束違反や武力挑発の記録で埋まっている事実を、大学時代に講義室で、またお父さんの朴正煕から十分に覚えたはずだ。特に、お父さんの朴正煕から北韓金日成共産集団の欺瞞戦術に対しての「反共講義」を聞かなかったのか? 1992年の「南北韓基本合意書」で約束した韓半島の非核化約束を金日成・金正日父子がまともに守ったのかを問いたい。
 
 要約すれば、朴槿恵の対北認識は、冷徹な知性に基づいたものでなく、非常に情緒的でロマンチックだ。彼女の対北接近は、現実主義よりは「民族共助」に近い。それで朴槿恵は、根本的な体制の問題も、政治指導者たちが顔を会わせて虚心坦壊に対話すれば解決できるという純真な確信をもっている。それで、北核問題で北側の核に対する執拗な所有意志を正確に捉えるよりは、「米・北間の信頼回復と、そのための中国の仲裁努力が重要だ」と信じた。
 
4.疑惑の中の金大中との関係
 朴槿恵は、亡くなったお父さんに対する汚名を拭い去るため残ったのを整理し始めたが、「朴正煕大統領追悼事業」に強い執念を見せた。具体的には「朴正煕大統領記念館」の建設だ。当初この事業を始めた頃、この仕事を手伝ってくれる人が切実に必要だった。だが、現実は冷静で、大部分が朴槿恵に会うことすら忌避したという。これを看破した金大中は、1997年の大統領候補の時、「朴正煕記念館建設」を約束して朴槿恵に友好的シグナルを送った。こうして、朴槿恵-金大中は急接近する契機ができた。(参照:金大中政権は2000年12月と翌年12月に都合200億ウォンの国家予算を記念事業会に割り当てたが、予算の使用は承認しなかった。盧武鉉政府は、国庫補助金を取り消す決定を下した)
 
 朴槿恵は、2004年「6.15共同宣言」4周年学術発表大会で、「6.15共同宣言を継承発展する」と言及し、その年の「月刊朝鮮」(8月号)とのインタビューで、「北韓が、リビアのように核を放棄する状況」を楽観した。また、「6.15共同宣言が歴史的に韓半島の平和定着に寄与した大きな意味がある。これを認めるべきだ」と話した。これは、金大中との対立より、協力関係の構築を念頭に置いた発言だ。
 
 朴槿恵の対北提案も、金大中のそれと似ている。南北韓の列車を開通し、韓半島物流センターを作ってシベリアに進出するということだ。朴槿恵は、大統領選挙公約で「列車フェリー」の構想を打ち出した。列車フェリーとは、甲板に線路をそろえて列車が地上と船舶の間を自由に移動するように作った大型船舶を称することで、2006年朴槿恵は、浦項、群山、仁川など港都市を訪問して、国内で列車フェリー事業の有用性および実行の可能性を検討したことがあった。朴槿恵と金大中との関係は、2007年光州での合同演説会においての発言から察することができる。この時、朴候補は、「金大中前大統領は、私に『国民和合の最高適任者』だと言った」と話した。いくら湖南の人心をつかむための方便とは言っても、「6.15共同宣言」を作り、太陽政策という「むやみな支援」の対北政策の責任者であり、国民的非難の対象である金大中と相互信頼関係を持つようになったことは納得し難い。
 
III.
 
 以上で議論した四つの問題点の中で、2002年に政権交替の失敗の場合は、政治的未成熟による結果として理解でき、また党代表になってハンナラ党を救った功労から、咎めないこともできる。しかし、その他の三つは、すべて大韓民国の安危に影響を与える、韓半島の左翼の実体と左・右翼の思想問題、そして将来韓半島の統一方向と深く繋がっているので簡単に済ませる問題でないため、保守右翼の持続的な関心が必要な件だ。
 
 最後に、朴正煕大統領が「大徳団地」の竣工式を視察した後、朴槿恵に頼んだ言葉を想起させたい。「指導者とは難しい道を切り開けるべきであり、自分の所信を持つべきで、悪口をたくさん言われてもこれを恐れてはならず、自分の目指すべき道を失ってはならない」(p.107)。最小限「反共」と「近代化」の旗じるしを打ち出した朴正煕の娘なら、むやみに票を追うポピュリストのように行動してはいけないという話だ。一言添加するなら、北韓と統一問題に対して、疎かな浪漫主義や感傷主義に囚われず、現実に立って冷徹に把握してほしいと注文したい。
 
 朴槿恵の発言と行歩の中で、最も大きな問題になるのは、韓半島を巡って繰り広げられた60年間の激しい理念戦争と思想対立に対する認識の不足だ。これから朴槿恵がより成熟した政治家になるためには、もっと熾烈な理念学習の訓練に没頭せねばならず、左・右翼の理念戦線での自らの位置の確保に、成敗がかかっていると言えよう。(2009/1/8)
 
www.chogabje.com2009-01-08 17:26
 
自叙伝に見る朴槿恵のアイデンティティ‐(下)
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