金成昱
韓半島で「民主主義」は二つの意で使われる。一つは大韓民国の憲法秩序である「自由民主主義」、もう一つは北韓式の「人民民主主義」。
同じ「民主」だが、意味は全く異なる。前者ではすべての国民が主人だが、後者ではいわゆる抑圧を受け、搾取され、疎外された側だけが主人になる。一つは人間の自由のための手段的概念であり、もう一つは階級革命であるだけだ。
「人民民主主義」は、1970年11月、朝鮮労働党の第5次党大会で「民族解放人民民主主義革命」、いわゆるNLPDRとして確定される。
北韓は、当時、「南朝鮮革命は、米帝国主義の侵略に反対する民族解放革命であると同時に、米帝国主義らの手先である地主・買辧資本家、反共官僚と彼らのファッショ的支配に反対する人民民主主義革命だ」と明らかにした。「人民民主主義」という大前提に、「民族解放」という反米主義を添加したのだ。
韓国内の左翼は、北韓の対南路線をそのまま追従してきた。人民民主主義を民衆民主主義に、民族解放人民民主主義を民族解放民衆民主主義に、である。「人民」を「民衆」にすり替えたが、本質は同じPDR、またはNLPDRだ(ソウル高裁97ノ3083の判例など)。
韓国で言われる「民主主義」は両面性を持つしかない。
共産主義、社会主義、階級革命、暴力革命を企てた者らが、自らを「民主化勢力」だと言うのもこのためだ。国家機関である「民主化運動名誉回復および補償審議委員会」が、共産暴力革命団体だった「南民戦」、「自民統」のような組織に連累者らを「民主化運動関連者」と認定したのも同じ理由だ。金正日に忠誠を誓い、忠誠の書信まで書いた「6.15南北共同宣言実践連帯」が「民主主義」を主張するのも同様だ。
彼らの「民主主義」とは、正確に言って「人民民主主義」乃至「民衆民主主義」である。
「民主」という文字を掲げて威勢を振るう勢力らは、自問してみる必要がある。「私たちの民主は、真の自由民主主義なのか? でなければ人民民主主義なのか?」と。
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