趙甲済
人間であれ組織であれ目標があってこそ意志と戦略ができる。国家の目標は、国家のアイデンティティの一部としてどの国でも憲法に記されている。大韓民国憲法の第1条は、「大韓民国は民主共和国である」と宣言し、第3条はその領土が韓半島とその附属島嶼であると釘をさした。北朝鮮地域はわれわれの領土だが未収復地域だ。憲法は、北韓地域を未収復地域として放置してはいけないと命令する。憲法第4条の、「大韓民国は統一を指向し、自由民主的基本秩序に立った平和的統一政策を樹立し、これを推進する」が、収復の命令だ。
「平和的方法による自由統一」で北韓地域までも民主共和国化しなければならないという命令である。憲法第1・3・4条は、有機的に結ばれた憲法の心臓と脳髄であり、改正不可の条項だ。左翼たちと没理念型政治家などは時々憲法第3条を改正し、北韓地域を領土の範囲から除外すべきだと主張する。それは国家の統一の意志と自由に対する渇望を抹殺するだけでなく、「北朝鮮」を独立国家として認定することで韓半島に二つの国家が共存する、分断の永久化を宣言することである。
憲法第1・3・4条として表れた韓国の国家目標は、「自由統一」であり、その方法は「平和的に北韓政権を解体すること」だ。南・北韓の武装-理念対決の本質は、「民族史の正統性と生の様式を置いて争う妥協の不可能な総体的権力闘争」である。二つに分かれた「生の様式(理念と体制)」を一つ(自由民主的基本秩序)にすることが統一だ。韓半島に二つの体制が両立した状態で統一ができると主張するのが南・北韓の左翼らだ。北朝鮮には社会主義独裁体制、韓国には自由民主体制をそれぞれの地方政権として置いた状態で「連邦制国家」で統一しようということだ。これが赤化統一のための戦術である事実は、連邦制統一案よりももっと高い北朝鮮政権の最高規範である「朝鮮労働党」の規約が、韓半島の共産化を不変の目標としていることでよくあらわれる。金大中-金正日の「6.15宣言」は、連邦制を事実上受け入れた統一方案を採択したことで、大韓民国の憲法を正面から違反した。
去る10年間、金大中・盧武鉉政権が左傾理念に立ち、一貫して進めた対北、対内政策の目標は、憲法に記された国家アイデンティティと国家目標と国家意志を抹殺しようとしたものだった。「6.15宣言」、盧武鉉-金正日の「10.4宣言」、いわゆる「民族共助路線」、「国家保安法の死文化」、韓米同盟の毀損、「北核」への庇護、憲法制定日を祝日から除外、反国家的・反憲法的な犯法者などを「民主化活動家」として顕彰、「超法的委員会」をもって法院の確定判決を再審の手続きなしで覆した各種の措置、左傾理念集団である「全教組」を合法化し、反国家的教育を政府が積極的に奨励したこと等等。
自称「民主闘士」らのこのような反国家的・反憲法的行態に驚いた有権者たちは覚醒し、2007年の大統領選挙と2008年の総選挙を通じて、左傾勢力を政治的に壊滅させた。このような国民の主権的決断は、李明博とハンナラ党政府に下した「反憲法勢力を粛清し、憲法のとおりにせよ!」という命令だった。
この二度の選挙を通じての政権交替は、革命的意味を内包したものだった。韓国の憲法秩序の下では、「従北左派」は政治勢力として許されない。偽りの扇動が大手を振るった選挙を通じて反憲法勢力が政権を取ったが、この事実を後から分った有権者らの手で追い出されたのだ。したがって、今度の政権交替は、理念の交替、人的交替、価値観の交替、左傾教育の交替、屈従的な対北政策の全面交替を通じて新しい世の中を作れ、との主権者の命令だったのだ。
この召命を李明博政府は出帆の直後に裏切った。「革命委員会」になった覚悟で、反憲法勢力を除去し、新しい世の中を作る準備をすべきだった政権引受委員会は、英語没入教育のレベルのアイディアを出した。引受委員会は、政府の引受の過程で左派政権10年間の反国家・反憲法的行為を「在庫調査」すべきだった。李明博政府は、出帆直後、左傾コードに合わせて任命された公職者たちを調査し、反国家的行為に加担した否適格者などを膺懲して追い出すべきだった。立法を通じて「超法的委員会」などを廃止すべきだった。特に、国防部、国家情報院、統一部、外交部、教育部などで利敵行為をした公務員たちを選分けて膺懲すべきだった。このような措置は、超法的の行為ではなく、憲法という軌道を離脱した国家を正常軌道に復帰させ自由民主的基本価値を守護するための救国次元の正当防衛であり、非常措置だ。
李明博政府はこのような歴史的使命を裏切った。政権交替の核心的意味である人的交替を放棄した。前(親北)政権に奉仕した人士などを国防部、国家情報院、統一部、外交部の長に任命した。そうして左翼らに「仲良くしょう!」という信号を送った。左派政権のラッパ吹奏者だったKBSの社長もそのまま置いた。大韓民国の過去と弱点だけを攻撃する、左傾勢力が掌握した委員会もそのまま置いた。「過去事関連委員会」の来年度予算が今年と同様の2000億ウォンだ。左翼らが金正日に免罪符をあげようととんでもない疑惑を提起した大韓航空機爆破テロ事件はまだ「真実和解委員会」の手中にある。「にせ物」にされた金賢姫は未だ身を隠しており、この委員会の委員長は金賢姫が出頭しなければ過怠料を払わせると圧迫する。
李明博政府の最も大きな裏切りは「理念の時代は過ぎた。したがって理念を問題にしない。専ら実用路線で行く」という宣言だった。国家が総力を挙げて膺懲、粛清、断罪すべきだった反憲法勢力に免罪符を与えただけに留まらず、色目を投げたのだ。政権交替のすべての意味は、理念交替という一点に帰着するのに、大統領がその意味を完全に無視してしまった。
李明博大統領は、左翼らに微笑を送ったがその返事は「ロウソク乱動」だった。「6.25事変」以後初めて左翼勢力が大韓民国の心臓部を3ヶ月間無法地帯にした暴動を体験しながら、大統領は大いに変わった。はじめて左翼の本質を体験したのだ。「ロウソク乱動」以後大統領は意味のあるいくつかの措置を取った。法秩序確立に対する所信を示し、北朝鮮の恐喝に対して屈せず、左偏向の教科書を正そうと試みた。今政権の中では李明博大統領が理念的に最も確実な人という印象を受ける時もある。これは逆説的に大統領が孤独だという意味だ。
彼を支える青瓦台の参謀たちや長官たち、そしてハンナラ党は、左翼勢力と対決しようとしない。政府部署の相当数の実務幹部らは、左派政権の10年間、反憲法的行為に同調してきた一種の反逆者ないし共謀者たちだ。巨大な左派と官僚結託体制の上に大統領が孤島のように浮いている格好だ。李明博政府は、右派政権でなく左・右合作政権だ。この全ての事態の原因は、大韓民国の憲法精神を確認する理念的粛清をしなかったためだ。
去る1年は失った1年だった。だが、機会はある。李明博大統領は就任1周年(2009年2月末)か、2009年の新年を迎えて新しい陣容を組もうとするはずだ。この時「自由の闘士たちのチーム」(Team of Freedom Fighters)を作ることだ。李大統領は、反憲法の左翼を相手にした思想戦を通じて勝利してこそ成功した大統領になれる。彼の成功や失敗は、2012年に右派が再執権するのかどうかで勝負がつくだろう。彼が「理念なき実用路線」へ復帰して思想戦をあきらめると、韓国は左・右が同居する、つまり、愛国者たちと反逆者らが、互角の力をもって葛藤することで国力を消尽し、法秩序を混乱に陥れる南美化への道を歩くことになるだろう。
「朝鮮労働党政権」を平和的に解体し、自由統一することは、憲法の命令だ。この命令を国家意志として確認し、自身の信念として受け入れる姿勢ができている「自由の闘士たち」で自分のチームを組むことが、李明博大統領の最後のチャンスであろう。
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