今年(2025年)10月17日、村山富市元首相=写真=が死去された。
村山さんは1994年に発足した「自社さ連立政権」の首相を務められ、私にも縁のある人でした。前年の93年には日本社会でも慰安婦問題が盛り上がり、私も担当した韓国遺族会の裁判の集会に、当時社会党委員長だった村山さんをお呼びして話をしたことを覚えています。
その年(93年)の8月4日に河野洋平官房長官のいわゆる「河野談話」があり、その中で、慰安婦の被害者に対し、「心からおわびと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える」との指摘がありました。ただ、謝るだけでなく、「その気持ちを我が国としてどのように表わすか」が重要なのです。
そして、94年6月30日に村山さんが首相となり、五十嵐広三さんが官房長官となったのです。私たちにとって最高の布陣でした。
もちろん私は五十嵐さんを訪ねて首相官邸に行き、時間があれば村山首相とも話しました。当初は、慰安婦問題解決のため政府が基金を設立し、資金は民間からの寄付とするとの考え方もありましたが、私や五十嵐官房長官が官僚(谷野作太郎外政審議室長)と直談判をして、政府も国費投入をする、それも民間が1人200万円なら、政府は1人300万円を提供するように説得をしました。しかも被害者の名誉回復のために首相から元慰安婦1人1人に対して「お詫びの手紙」を届けることになったのです。
95年7月に設立されたアジア女性基金の初代の理事長は、原文兵衛さん(元参議院議長)ですが、2代目は村山さんが就任し、2007年3月の解散に至ったのです。
このように「アジア女性基金」は今考えても戦後補償実現のための大きなステップアップになったと思います。
さらに、村山首相に対して私は、和田春樹(東大名誉教授)さんたちと国会による「謝罪決議」に力を入れました。これは95年6月9日、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」として結実しましたが、与党議員を含む241人が欠席するという異例の事態の中での不十分なものでした。
そこで、村山首相による8月15日の戦後50周年記念式典における談話となったのです。
この「村山談話」は、日本がアジアにおいて侵略、植民地支配を進めていった事実に間違いはないことを認めています。
そして、この過去の歴史を直視して謙虚に認め反省し、お詫びすることでアジア諸国との信頼関係を築いていくべきだとするものです。
この談話は村山首相個人だけの考えではなく、自民党出身の閣僚も含め全閣僚が署名し、満場一致で閣議決定されたものです。そして、この談話は、次の橋本龍太郎首相以降、小泉純一郎首相、安倍晋三首相、石破茂首相も全ての歴代首相がこの村山談話を踏襲しているのです。すなわち、この村山談話は、政府の方針なのです。そこで、最近発足した高市早苗首相はどうするのか、注目すべきテーマです。
村山さんとは集会だけでなく、合宿もご一緒したことがあります。長い眉毛の下のいつもの笑顔は忘れられません。享年101歳だということですが、もっと長生きしてほしかったと思う次第です。 |