万葉集をどのようにして解けるのか苦心惨憺の解読作業を読者の皆さんに述べたい。
万葉集の44番歌は25個の真珠でできた首飾りだ。原文と解読は次の通り。
吾 妹 子 乎 去來
見乃 山 乎 高 三 香 裳
日 本 能 不 所 見
國 遠 見 可 聞
私の、事理に疎い女人が、息子のところへ行こうとするね。
(草壁皇子に)会おうとするね。山の高いところで、3人の女人が。
日が昇る所では(皇子は)現れない。
(皇子は)遠く離れた国(皇子の墓地)で現れるから(そこへ行けば会えると)申し上げなければならないね。
原文には「妹」という真珠が出てくる。一般的には「姉(妹)」との意味で使われる。辞書を見れば「姉、少女、女、事理に暗い(昧)」などの意味を持っている。
ところが、万葉集の研究者たちは、辞書にもない「妻」と解いてきた。
だが、意外にも「妹」というこの真珠は「事理に疎い女人(妹=昧)という意味で用いられていた。「事理に疎い+女人=事理に疎い女人=持統天皇」として使われたのだ。
これがどのようにして分かったのか。日本書紀に44番歌が作られる背景が記されていた。
持統6年の3月3日、天皇は伊勢に行幸されようとした。天皇が農期に旅に出れば、百姓たちの迷惑になるのは世の常だ。
臣下たちは困り果てた。中納言直大弐の三輪高市麻呂が「農作の節に車駕を動かすべきではない」と諫めた。自分の官位をかけて重ねて引きとめた。だが、持統天皇は聞き入れず3月6日、伊勢に向かって行幸された。
持統天皇は百姓たちに迷惑をかけることを無視、草壁皇子が御日様となって昇ると言いながら、日の昇る所を訪ね回っていたのだ。それで、臣下たちは持統天皇を「事理に疎い女人」と呼んでいた。
「事理に疎い女人」という意味を、万葉集の他の作品に出てくる「妹」という言葉にも適用してみた。例外なく「昧(事理に疎い女人)」という意味で用いられていた。
苦心惨憺の結晶、真珠の首飾り(万葉集44番歌)
<続く> |