仁川広域市は約303万人が暮らす大都市で、ソウルの西へ連なりメガロポリスを形成する。訪韓客にとっては永宗島にある仁川国際空港がお馴染みだが、市街地を訪れる観光客は稀だ。
ソウル中心部からは京仁線(地下鉄1号線)に乗り、終着駅の仁川駅で降りると、駅前には「中華街」と記された牌坊を堂々と構えるチャイナタウンがある。韓国式中華料理の炸醤麺の発祥店もあり、炸醤麺博物館にも立ち寄る価値がある。
仁川中華街の始まりは、近代化の歴史と重なる。漢江の河口にある江華島へは1875年に日本軍の雲揚号が砲撃を加え、翌年に結んだ日朝修好条規により、仁川港などの開港を約束させた。その後83年に開港すると、海外から人や物資が流入し、日本や清ほかの租界地が設けられた。中華街との境界となる階段には清・日の灯篭が並び、その上には孔子像がある。旧日本租界地には銀行や日本郵船の建物があり、今もなお保存されている。また仁川の中華街の裏手には、海を見渡せる自由公園があり、仁川上陸作戦を成功に導いたマッカーサー将軍の像が立つ。
中華街といえば東京の南にある横浜が思い浮かぶ。53年にペリーが乗ったサスケハナ号を含む4隻の黒船が浦賀沖に来航し、58年に日米修好通商条約が結ばれ、翌年に横浜港が開港した。その後設けられた外国人居留地が、横浜中華街の始まりだ。中華街には10基の牌坊があり、飲茶などを愉しめる中華料理店が数多く並ぶ。関帝廟も象徴的で、異国情緒あふれる街並みだ。
仁川駅前からは月尾パダ列車という観光用モノレールが走り、その先には月尾島がある。月尾島は1920年代に陸続きとなり、レジャー開発された。現在の海岸沿いには観覧車やカフェが並んでおり、長年デートスポットとして有名だ。
約377万人が暮らす横浜市だが、その新港には観覧車があり、みなとみらいを一望できる。ここは83年から「みなとみらい21地区」として埋立地の開発が進み、横浜ランドマークタワーやパシフィコ横浜などがある。埋立地といえば、仁川市内の松島新都市も同様だ。現在は高層ビルが立ち並び、海水を引いた水路がある松島セントラルパークはオアシス的な存在だ。前世紀に思い描いた未来都市ともいえる様相だ。
仁川港の旅客船ターミナルがある場所は、沿岸埠頭と呼ばれる。黄海に浮かぶ島々のほか、青島や大連などの都市とを結ぶフェリーも往来する。港のあたりには「換銭」と漢字で書かれた看板が目立つ。近くには活気あふれる仁川総合魚市場もある。少し離れた龍〓洞のアンコウ専門店街で身がぷりぷりのアンコウ蒸しを味わうのもおすすめだ。
横浜の韓国事情にも触れておきたい。駐横浜大韓民国総領事館の近くには港の見える丘公園があり、眺望の良い好立地だ。韓日友好ムードが続くなか、同領事館が携わる行事として、2023年には横浜市役所にステージが設けられ、24年には象の鼻パークにて、ともに韓日交流の祭りが開催され、特に後者は企業や自治体ブース、飲食屋台が数多く出店した。
中華街のイメージに負けまいと、コリアンたちも存在感を示そうとしている。関内駅からほど近い福富町には、飲食店や食材店など韓国系の店舗が多く、23年には”KOREATOWN”のゲートが設けられた。付近には飲み屋や風俗店がひしめき、歓楽街なのも特徴だ。ノスタルジックな飲み屋街の野毛にも、昨今では韓国のレトロな流行を反映した大衆酒場が見られる。
港町の横浜は釜山に似ている、という声も聞かれる。両市は06年にパートナー都市となり、09年に仁川市とも同様の提携を結んだ。横浜に近いのは仁川か釜山か。都市や街の類似性の議論は、永遠に終わりが見えない。
横浜中華街
仁川中華街
|