私の目の前で、李進熙が高淳日に向かって、「君の言葉がわからない」と声を高めた。それから続く李進煕の抗議調の言葉へ、高淳日は顔を真っ赤にして反論しなかった。李進熙の言葉は怒りの感情を表していた。だが、私は李進熙の怒りに納得する。それは直前に私も問い詰められていたからだ。NHKへ陳情して帰ってきた中野好夫氏の「金さん、韓国語講座でいいですか」という語りかけに、金達寿は講座を開いて下さるなら、韓国語講座でも構いません、と答えた。そのNHKが韓国語講座開設を決めた、という中野好夫氏の報告内容をその直後に朝鮮総聯へ通報した、と私も疑いを掛けられていたからである。
くじゃく亭で勢ぞろいした要望する会は、中野好夫氏を代表にして、NHKへ出掛けている。この間の経緯を南相瓔は以下のように記述している。
1977年4月4日、「要望する会」の桑原武夫、中野好夫、久野収、旗田巍、金達寿、矢作勝美らがNHKを訪れ、3万8728人の署名を手渡しながら朝鮮語講座の開設を求めた(南相瓔『NHK「ハングル講座」の成立過程にかんする研究ノート』69頁)。
私の記憶は少し異なる。NHKへ出掛けたのは中野好夫と久野収などであった。日本人がNHKに要望するという趣旨から、金達寿はくじゃく亭で待ち受けていた。そしてこの日、韓国語講座開設で合意したことが記載されてない。
これは金沢大学教養部論集・人文科学篇(1994年)の抜き刷りである。南相瓔は「日本人の韓国・朝鮮語学習にかんする歴史的研究」の(その二)として発表している。
この南相瓔のノートはこの間の経緯をよく纏めているが、金達寿とその後ろにいた徐彩源の心情が語られていない。それは平壌文化語をズーズー弁だから民族教育に使われることは好ましくない、という金達寿と徐彩源の動きがわかっていなかったからであろう。
美しいソウルの言葉をNHKから流して貰うために起こした運動だなどと、金達寿は表に出して言っていなかった。金日成の言葉は、社会党の佐々木更三委員長の使っているズーズー弁と同じだとは、金達寿には口が裂けても広言できなかった。ソウルの言葉をNHKで流して貰うことが真の民族教育になるという金達寿と徐彩源の動機は南相瓔が知らない世界であったろう。南相瓔は美しいソウルの言葉を持って韓国から教育者として招かれており、朝鮮半島はソウルの言葉で語られることを当然と捉えている。
要望する会が、NHKと韓国語講座開設に合意したという内容は朝鮮総聯にその日のうちに伝わり、直ちに中野好夫氏宅へ抗議団が押しかけたそうである。朝鮮語講座の開設を要望するという署名簿を持ってNHKへ出掛けた中野好夫氏が、「韓国語」開設で合意するという行為は、署名した多くの人々の気持ちを裏切る、と朝鮮総聯は強く抗議をしている。その抗議を受けて、中野好夫氏は金達寿に裏切られたと感じる。NHKからくじゃく亭へ向かい交渉経過を説明したら、金達寿は韓国語講座開設で結構です、と納得したではないか。少なくとも金達寿は朝鮮総聯の韓徳銖議長の盟友であろうに、昼にNHKが「韓国語講座」の開設を受けたと報告したときにあれほどの喜びの感情を表しておき、夜には抗議団を派遣して来るのか。中野好夫氏は金達寿へ不信を募らせ、要望する運動から手を引いていく。
1977年4月9日、僅か5日後に「NHKに韓国語講座を求める会」が、東京都港区南麻布一丁目で発足する。
NHKは韓国語講座の開設を「名称」問題のもつれとして、当分の間遅らせる。 |