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最終更新日: 2025-04-23 01:40:13
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2025年02月18日 12:37
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新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第69回 伴野麓

 青銅器文明を保持する種族と、鉄器文明を保持する種族が、同時期に韓地から倭地へと渡来したと考えるのも不自然ではない。そうしたことが、穴穂という語句に隠されているのかもしれない。

 安康の時代は無政府状態の分裂国家

〈安康紀〉をみれば、安康の治績などは何一つ語られておらず、その大半は木梨軽王の敗死、大草香王の殺害、眉輪王による安康刺殺、市辺押磐王の謀殺という血なまぐさい謀略の数々で覆われている。眉輪王による安康刺殺事件などは、本文に〈雄略紀〉に詳しく述べてあるとあるように、〈雄略紀〉での殺害事件も〈安康紀〉に移され記されていることになる。
普通名詞では、平和で安らかなことを意味する安康という語句を諡号に持つ時代とは真逆の殺戮とした時代だったというほかない。穴穂王(安康)と木梨軽王との大王位をめぐる争いは、穴穂矢(鉄鏃)と軽矢(銅鏃)との戦いであったと考証されており、穴穂王が勝利したことにより、新しい鉄器文明の時代が切り開かれたと見られている。
しかし、その在位期間は3年と短く、新しい文明を広めることもできずに死去したということになる。治世の場が、石上穴穂宮と称されるように、その地は物部氏の本拠地であり、穴穂矢の技術は物部氏が保持するものであったろうことを示唆する。
とはいえ、穴穂は穴太と同じで安羅(阿羅)に通じるとされるから、アマノヒボコに通じる集団でもあろうということになる。アマノヒボコ集団の渡来が3世紀中葉とすれば、それから200年くらいが経った5世紀中葉になれば、その途上で婚姻等を通じてアマノヒボコ集団は海部氏や尾張氏、物部氏などの氏族に取り込まれた可能性があることも否定できない。
そのように考察すれば、安康もその淵源がアマノヒボコ集団にあったかもしれないということも否定できないし、安康の陵墓比定もいい加減なものと指摘されていることを鑑みれば、アマノヒボコ集団に対する史上の冷淡な扱いと似通うところがあり、なおさら安康のアマノヒボコ淵源の念が強くならざるを得ない。
安康の時代である5世紀を、倭国の統一が達成された時期と見る説があるのだが、安康時代の暗殺劇の数々をみれば、どうしてそのような説が出てくるのか不思議でならない。それは、多分に”幻の大和朝廷”に惑わされているからだろうと思われる。
安康の時代は大王位が空位の暗黒時代であった。それは統一国家ではなく、分裂国家を意味する。換言すれば、400年前後に沸流百済によって突如、大和に樹立された百済系大和王朝がその支配を拡充していく過程での出来事で、実際は新羅系山陰王朝と百済系大和王朝との相克の時代であったと考えられる。

2502-19-04 6面
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