水原はソウルから南に約30キロ離れた都市だ。22代朝鮮王・正祖により築城された水原華城が代表的な存在だといえる。約5・7キロ続くその城郭を歩くと、高みから巨大な市街地を見下ろせるほどで、現在の水原市は約119万人の巨大都市だ。水原市は広域市として京畿道から独立できる規模ではあるが「水原特例市」として、市内には京畿道庁が所在する。
そんな水原市と交流がある都市のひとつが、埼玉県のさいたま市だ。両都市は2015年に提携し、埼玉県側は「パートナーシップ都市」として位置づけている。さいたま市の人口は約135万人の政令指定都市で、首都である東京からも約30キロ離れており、よく似た水準であることが理由だ。水原市は4区から構成され、さいたま市は01年に浦和・大宮・与野、05年には岩槻がここに加わり、計4市の合併で10区ある。サッカーが盛んなことも共通し、水原には水原三星ブルーウィングスと水原FC、さいたま市には大宮アルディージャや浦和レッドダイヤモンズといったプロチームがある。24年秋には、水原市からサッカー訪問団がさいたま市を訪れて交流を行ったほどだ。
京畿道庁は霊通区にある光教中央駅前に位置している。ソウルの新沙駅から新盆唐線に乗ると40分弱でアクセスできる。この街は光教新都市といわれる街で、光教湖水公園のまわりには50階建て近くの高層アパートが聳える。また水原市庁があるのは八達区の仁渓洞で、この界隈は繁華街として居酒屋などが数多く集まるナイトスポットだ。しかし付近には公園や、水原出身の西洋画家の名が付けられた羅蕙錫通りという広々とした遊歩道があるなど、ソウルの繁華街とは様相が異なる。またKTXが停車するKORAIL水原駅周辺にも繁華街があり、水原市庁駅までは地下鉄で移動しても2駅だ。双方とも旧来の市街地であり、強いて例えるならば、大宮駅と浦和駅といえるだろうか。100万都市の両市には、その他の商圏ももちろん存在する。
新幹線が停車する大宮駅西口にはビルが多く、東口は商店街や雑居ビルのほかはどことなく猥雑さがある。浦和駅西口には伊勢丹浦和店があり、同社内で日本一の新宿店に次ぐ売上げを誇る。駅前は近年再開発が盛んで、少し離れると国立大学の付属小学校があり、浦和は文教地区でもある。さらに埼玉県庁やさいたま市役所が存在するのも浦和で、ともに国道17号沿いに位置し、市役所の隣にはNHKさいたま放送局、その向かいには民団埼玉県地方本部もある。
そんな類似性はともかく、おでかけのために双方の名物に触れておこう。水原の名物といえば、水原カルビが挙げられる。その由来は俗説も含めて諸説あり、水原に牛市場があったとか、水原華城の建設の際に体力をつけるために牛を食べたとか…。特に有名な店は仁渓洞の繁華街から少し離れた佳甫亭という店だ。とある交差点の角地に3館の立派な建物が建ち、韓牛の上質なカルビを味わえる。何よりもつき出しの料理がとても充実しておりケジャンやエイ蒸し、サラダなども含めて、丹精こめた料理がテーブルに並ぶ。
さいたま市内で浦和の名物料理といえば、うなぎだ。駅西側を通る旧中山道沿いの浦和宿には老舗のうなぎ店が点在している。かつての浦和には沼地が多く、宿場を訪れる客たちにうなぎを提供していたようだ。江戸時代から続くといわれる山崎屋や、創業120年以上の満寿家といった風格ある老舗が存在し、街を歩くと由緒ある宿場の名残が感じられる。満寿家のセットメニューでは、蒲焼がのったうな重とともに、鯉こくが添えられる。ちなみに近隣の小学校では、市内の店舗で調理したうなぎを給食として振る舞う機会も設けられているという。街にゆかりのある名物料理もぜひ堪能してみてほしい。
吉村剛史(よしむら・たけし)
ライター、メディア制作業。20代のときにソウル滞在経験があり、百都市を踏破。2021年に『ソウル25区=東京23区』(パブリブ)を出版。23年から(一社)日本韓食振興協会会員。
水原カルビ
浦和のうなぎ
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