韓日国交正常化60年企画「韓日の架け橋『在日』、皆さんのおかげです!」第3回は、朴忠弘・大阪ワッソ文化交流協会理事長=写真=について4回にわたり紹介する。奈良県出身の在日韓国人2世である朴理事長は、韓日交流イベント「ワッソ(WASSO)」を通じて、韓国と日本の友情を築くことに尽力している。
(ソウル=李民晧/取材協力=在外同胞庁)
第1回 「WASSO」との運命的な出会い
「東アジアや日韓の交流は古代から続く文化的な繋がりの延長であり、現代の韓流ブームの原点も古代からの交流にあります。皆様、『ワッソ』で古代の韓流と現代の韓流! 時代を越えた二つの体験をお楽しみください。友情は1400年の彼方から…」
2024年11月3日、大阪・難波宮跡公園で開催された四天王寺「ワッソ」イベントで、朴忠弘理事長は高らかに開会を宣言した。舞台から降りると、思わず安堵のため息が漏れた。
「これでひと安心だ」
関西地方を襲った大雨の影響で、イベントが中止になる恐れがあったからだ。スタッフは雨でぐちゃぐちゃにぬかるんだ会場を整備するため、徹夜で汗を流した。大阪ワッソ文化交流協会の代表として、誰よりもプレッシャーを感じていた。
ワッソ当日は、まさに台風一過ともいえる抜けるような青空が広がった。旧皇居があった難波宮跡公園には、早朝から韓日のゲストが続々と集まってきた。韓国の大統領や日本の首相も祝辞を寄せた。朴理事長が「一生の課業」と呼ぶ「ワッソ」は、古代の韓日交流を再現した祭り、さらには東アジアの親善友好の歴史が詰まった大阪の祭りである。
「ワッソ」との出会いは、民族系金融機関「大阪興銀」時代にさかのぼる。1985年、興銀本店営業部長時代、同社が企画したイベント「王仁博士リレー」に参加し、1600年前の王仁博士が歩いた渡日ルートをたどった。
王仁誕生の地である全羅南道霊岩から墓がある大阪府枚方市まで、距離にして約1000キロメートル。
仕事の都合で一部区間のみの参加となったが、これほどまでに母国を身近に感じたことはなかった。各地の住民らと(韓国の伝統酒)マッコリを酌み交わしながら、母国の温かい情を感じると胸が熱くなった。
植民地時代に日本に渡り、子供たちのために苦労続きで亡くなった父(朴在春)を思うと、あふれ出る涙を抑えることができなかった。霊岩は父の故郷である康津とも近かった。さらに、リアルな歴史を学ぶことができた。行程をたどりながら、韓半島の祖先が漢字と千字文を携えて海を渡り、日本に伝えた歴史の痕跡を探した。
朴忠弘は現在も85年11月4日のその日を忘れることができない。この日、「王仁リレー」チームをはじめとする興銀のスタッフと在日同胞500人は、大阪の中心街・御堂筋の真ん中を行進した。
百済の渡来人が着ていた昔の衣装のまま、在日同胞たちは二人三脚で手をつなぎ街頭パレードを行った。公共放送NHKでも時を同じくして「漢字の来た道」というタイトルのドキュメンタリーを放映した。
感動の波が押し寄せ、興奮のるつぼだった。同胞たちの胸の中では、熱い何かがうごめいていた。
(つづく)
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