ログイン 新規登録
最終更新日: 2025-01-17 11:35:07
Untitled Document
ホーム > ニュース > 文化
2025年01月15日 12:28
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
新解釈日本書紀(続)応神
幻の大和朝廷 第64回

 大王(天皇)の反正はハンゼイと訓まれているのだが、普通名詞の反正とは、辞書を引けばハンセイと読み、「以前の正しい状態にかえすこと」とある。
反正という普通名詞が使用されている例として、朝鮮朝時代の中宗反正、仁祖反正などがあり、中宗反正は1506年の出来事で燕山君を廃位、追放して18歳の晋城大君を擁立したクーデターのことだ。仁祖反正は1623年、クーデターによって光海君を廃位し、仁祖を擁立して即位させた事件のことで、ともに旧にもどして正しくすると標榜した。
去来穂別(履中)に対する住吉仲の反乱の実相というものは、住吉仲と瑞歯別(反正)との後継者争いであったのだが、それは安曇・海部氏族と和珥氏族との覇権闘争でもあり、結局は和珥氏族が勝利する形になり、応神朝の状態に戻したということを示唆している。つまり反正朝は、応神朝の状態に戻ったことを意味するのだ。

『日本書紀』は史書ではなく小説ということ

菟道稚郎子は、大鷦鷯と大王位を譲りあっている間は大王であったという見方もあり、菟道稚郎子の妹である八田姫が瑞歯別の母であったから、菟道稚郎子の流れに返ったということを意味すると考えられる。菟道稚郎子は応神の太子であり、仁徳に敗北したのだが、瑞歯別こと反正は、菟道稚郎子の時代に戻ったということになり、それが反正という漢風諡号になったと考えられる。
応神朝は沸流百済と和珥氏族による合体両面王朝であったのだが、仁徳(沸流百済)の勢いに押されて、菟道稚郎子(和珥氏族)が沈没してしまった。淡海三船が、そのことを知っていて反正という諡号を与えたかどうかは定かでないのだが、仁徳朝に沈没した和珥氏族が、瑞歯別(反正)を擁して元の状態に戻したこと、平たく言えば返り咲いたことを意味していると思われる。
敷衍すれば、和珥氏族は新羅系山陰王朝の象徴であり、沸流百済によって樹立された百済系大和王朝を抑え込んで、原初からの倭地の住民である新羅=伽耶系の正しい王朝に戻したということを意味しているとも考えられる。とまれ、その反正朝の記述は極めて短いもので、事績は皆無に等しい。
『記・紀』編著者らによるそのような冷遇はどこから生じたのかは明らかにすることはできそうにないが、反正の在位期間の6年間は、雨風節にしたがいて、五穀ゆたかに穣り、万民栄えて、天下大平なりき、とあり、平和で豊かな時代であったことを示唆し、反正の実像として、2メートルを超す偉丈夫の和珥氏系大王であったろうことが浮かびあがってきた。

2025-01-15 2面
뉴스스크랩하기
文化セクション一覧へ
野党の弾劾理由に「韓米日共助」
韓日の架け橋「在日」、皆さんのおかげです!
元心昌3・1運動を公認
金永會の万葉集イヤギ 今年の展開について
国民の権益より「グローバルアジェンダ...
ブログ記事
マイナンバーそのものの廃止を
精神論〔1758年〕 第三部 第28章 北方諸民族の征服について
精神論〔1758年〕 第三部 第27章 上に確立された諸原理と諸事実との関係について
フッサール「デカルト的省察」(1931)
リベラルかネオリベか
自由統一
北朝鮮人権映画祭実行委が上映とトーク
金正恩氏の権威強化進む
北韓が新たな韓日分断策
趙成允氏へ「木蓮章」伝授式
コラム 北韓の「スパイ天国」という惨状


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません