道理に疎い女人だね。
女人たちがついて行くのが見えるね。
麻布の女人たちだけが悲しみながら山道をついて行っている。
大きな島国だというのに、山の尾根に女人たちだけがついて行っているね。
行列が猿の尻尾のように短くて悲しいね。
中大兄皇子が作った「猿尾歌」だ。慟哭の歌だ。歌のタイトルは筆者がつけた。女人たちだけが列を成して斉明天皇について行っている。葬式には男たちがいなかった。百済への派兵のため、男子の臣下は皆、福岡の本営に行っていたからだ。
「妹」という文字は、万葉集では「世の中の道理に疎い(昧)女人」という意味で解く。母である天皇を世の中の道理に疎い女人だと言ったのは、男子たちが葬儀に列席できない事情なのに、それを知らずに亡くなったという意味だ。平時の天皇の葬儀なら、国中の臣下が集まったはずだ。それなのに、女人たちだけで葬儀を行わなければならなかった。前代未聞の事態だったのだ。
繰り返しになるが、郷歌は歌詞通りに物事が叶う歌だ。中大兄皇子が先に作った梅花歌の内容が現実となったのだ。男たちがいない中、飛鳥に残っていた女人たちだけがあの世への道案内をするようになった。
葬儀の行列が猿の尻尾のように短かったという意味がこれだ。寂しく出て行く行列を眺めながら、中大兄皇子は自分が母親にひどいことをしたような気がして泣きそうになって91番歌を作ったのだ。
この歌のこれまでの解釈は次の通りだ。
妹が家も継ぎて見ましを
大和なる大島の嶺に家もあらましを
(あなたの家をずっと見ていたいものだ。大和の、あの大島の嶺に家でもあったらなあ)
この解釈に、寂しい葬儀行列があるのか。中大兄皇子の嘆きがあるのか。今までの解釈にはない。
その日、91番歌と対になるもう一つの歌が作られた。万葉集92番歌である。鏡王女(かがみのおおきみ)という女流歌人が詠んだ。
さようなら、斉明天皇(12番、15番歌、日本書紀の梅花歌・猿尾歌、91番、92番歌) <続く> |