「吾欲之」は、死の前で天皇の願いということだ。
「野嶋」は大きな野原と島であり、合わせて「倭国」を意味する。野は飛鳥のような野原をいい、嶋はあちこちの島々のことだ。農業や漁業を営んで生きている人々を指している。
「世追」は代を継いで先代の天皇たちを偲んでほしいという意味だ。
「底深」とは、国の基礎を深くしてほしいという頼みだ。
「阿胡」は海辺の将帥のことで、福岡の本陣に駐屯している西征軍の将たちを指す。
「浦乃 珠 曾」は、古代韓半島語で解読してこそ明瞭になる。「福岡の朝倉宮で、たとえ自分が真珠のように割れて死んでも(ジュグル曾ラド)」と、解ける。古代の韓半島語が上手に使われている。斉明天皇は古代韓半島語を上手に使いこなしていた。
「不拾」が12番歌の核心だ。拾は「拾う」であり、私が死んでも西征の計画を拾い上げるな、つまり中止してはならないという意味だ。
自分の死を真珠が割れることに例えている。すばらしい隠喩だ。万葉集にはこのような最高級の隠喩で作られた作品が数多くある。実に隠喩の森ともいえる。
筆者は斉明天皇を最高級の歌人と断言する。日本人が斉明天皇の本当の価値を発見することを願っている。真珠のように美しい彼女の生を知らないのはもったいないと思うからだ。
郷歌は、歌詞の内容通りに物事が叶う呪術的な歌だ。そのため、天皇死去後の歴史は歌詞通りに運ばれる。
歌詞は、斉明天皇が中大兄皇子を後継者に指定し、自分が死んでも百済救援軍の派兵計画を覆すなというものだった。斉明天皇の遺言だった。
この作品をこれまでの研究者たちはどう解いたのだろうか。現代の日本人が知っている12番歌は次の通りだ。
我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ
わがほりし のしまはみせつ そこふかき あごねのうらの たまぞひりはぬ
現代語に訳すれば「あれが見たいと思っていた野島ですね。見せていただいたあの島が。でも、底まで透き通っている美しい阿胡根の浦の玉を拾うのはこれからですね」
いくら注意深く読んでも、筆者にはこの解釈が斉明天皇の死と何の関係があるのか理解できない。
ところが、郷歌制作法による解読は、歴史の事実関係の前後を理解する上で洞察力を提示する。実際の歴史を見ると、斉明天皇が亡くなったにもかかわらず葬儀も行っていない状態で百済への派兵が揺るぎなく進められている。歌の内容通りになったのだ。
また、百済への派兵中断の主張がなぜ出なかったのかという歴史的背景も明らかになる。万葉の神様が天皇の遺言通りに歴史を運んでいるのに、これに反対を主張することなどできなかったにちがいない。
さようなら、斉明天皇(12番、15番歌、日本書紀の梅花歌・猿尾歌、91番、92番歌) <続く> |