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2022年06月07日 10:00
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新解釈・日本書紀 応神<第46回>
伴野 麓 著

(59)和珥氏は古くからの氏族
和珥は、鰐・和邇・和爾・丸邇・丸・和仁などと表記されている。応神朝に、論語と漢字(千字文)を伝えた王仁と同じ発音だ。
日本書紀に和珥の名称が最初に出てくるのは、神武紀の「和珥(天理市)の坂下に居勢祝という者があり」というくだりだ。和珥と居勢祝との関係は定かでないが、居勢は、新羅の始祖の朴赫居世の居世にも通じるから、新羅の祝(神に仕える職)ということか。
日本書紀・孝昭紀に「天足彦国押人は和珥臣らの先祖である」とあり、古事記は、春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山臣、伊勢飯高臣、壱師君、近淡海國造の祖としている。
日本書紀・開化紀には「和珥の先祖姥津命の妹姥津媛」とあり、古事記・開化記には「丸邇臣の祖、日子國意祁都命の妹、意祁都比賣」とある。
日本書紀・崇神紀と垂仁紀には「和珥臣の先祖、彦国葺」とある。神功紀には「和珥の臣の先祖武振熊」とあり、応神紀には和珥臣の祖は日触使主とあり、仁徳紀には「和珥臣の先祖の難波根子武振熊」とある。
古事記・応神記の歌に「伊知比韋の丸邇坂の土を」とある。伊知比韋臣の祖は、天押帯日子(日本書紀では天足彦国押人)で、新撰姓氏録・左京皇別は「檪井臣、和爾部同祖彦姥津命之後也」と伝える。
旧事本紀・天孫本紀によれば、垂仁朝の時代、阿倍臣の遠祖武渟川別・和珥臣の遠祖彦国葺・中臣連の遠祖大鹿嶋・物部連の遠祖十千根・大伴連の遠祖武日を5大夫と称したとある。
新撰姓氏録・左京皇別に「和邇部宿禰、彦姥津(おけつ)4世孫矢田宿禰之後也。又和邇部、天足彦国押人3世孫彦国葺之後也」とある。彦国葺は和珥坂で、武埴彦を討ち取っている。
地名辞書・大和国は「和珥坂は和珥がいた坂であり、武すき坂と同じだ」とあり、日本書紀・神武紀の「層富県、和珥坂下、有居勢祝(層富の県の…和珥の坂下に居勢祝という者があり)」という記事を紹介している。
以上のように、和珥氏の先祖は天足彦国押人、姥津(日子國意祁都)、彦国葺、日触使主、武振熊というように伝え、古くからの氏族であることを明らかにしている。その和珥と、応神朝に渡来した王仁の発音が同じでも、まったくの別人と見なされて当然だが、王仁はオウジンとも読まれることから応神に通じ、王仁はまた和珥にも通じる。そこに大きなトリックを感じる。

(60)〝ワニ〟の謎
応神朝は、『応神は沸流百済に牛耳られた和珥氏族』で明らかにしたように、倭地における和珥氏族と、倭地に亡命してきた沸流百済の合体王朝であった。その秘密のベールを開けるのが、百済から渡来してきた王仁の読み方となる。王仁を韓語で読むとワンイン(王様)となり、それがワニに転訛したと説く説もあるのだが、そうではなく、王仁の音読みはオウジンで応神に通じる。

2022-06-08 6面
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