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2022年03月11日 11:17
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新解釈・日本書紀 応神<第35回>

◆幣岐君(応神の子である大山守を祖とする)
幣岐は日置とも書かれ、後に日置はヒオキと訛るようになったといい、比於木、比木、経木とも読まれた。遠江国城東郡に比木村があって、幣岐君の裔孫が居住したとされ、隣接地は榛原郡だった。姓氏録には日置朝臣、拾芥妙には日置倉人日置部などが見える。
和名抄によれば、出雲国神門郡にも日置郷があって、日御前の神主日置氏は、延喜式に記載されている日置田をつかさどる出雲国の名家だったという。この日置田は出雲国にのみ見られるものだが、全国に散在する日置の地名は、日置部の職掌から生じた名と見られ、中世以降、その職は廃されて、名前のみが残ったという。この日置氏は、応神帝の裔孫である日置氏(幣岐君)とは、その流れを異にすると見られている。肥後国玉名郡にも日置郷があって、日置氏はその地の名家とされる。
◆去来真稚皇子(応神と高城入姫の子、深河別の祖)
去来真稚皇子は、古事記には伊奢之真若とあり、山城国葛野郡に深川神社が鎮座、深河別の始祖・去来真稚を祭るという。和名抄は飛騨国荒城郡に深河郷を載せる。今の古川町で、「ふかかは」が「ふかわ」に、そして「ふるかわ」に訛ったものと推量されている。『書紀通証』はこの地を、深河別が賜った地に比定している。
古事記・崇神記に記載されている崇神の子の伊邪能真若は、日本書紀に記す彦五十狭茅のことで、垂仁(活目入彦五十狭茅)の弟だが、崇神の子の伊邪能真若と、応神の子の伊奢之真若は、時代的にみても別人と見なければならない。あるいは剽窃の疑いもあるということか。とまれ、葛野郡に延喜式の深川神社が鎮座するが、『書紀通証』によれば、応神の子の去来真稚が深河別の始祖と載せるから、その縁の地であろうという。
◆大原姫(皇女、応神と高城入姫の子)
大原姫の事跡は伝わっていないが、旧事本紀・天孫本紀は、天香語山の10世孫に、第1子は淡夜別(大海部直等の祖である弟彦の子)、第2子は大原足尼(筑紫豊国国造等の祖である置津與曾の子)、第3子は大八椅(甲斐国造等の祖である彦與曾の子)と伝え、第2子が大原という名称を冠する。とはいえ、大原姫との関係は不詳だ。
大原という地名は全国各地に散在し、最も著名なのは出雲国の大原郡で、大蛇を退治したスサノオ(素戔鳴)がクシイナダ(奇稲田姫)と住んだ須賀宮のあった地とされる。肥川の上流にあたり、その地に須賀神社が鎮座している。他方、大和国にも大原の地名があり、藤原の別称とされ藤原鎌足の本貫の地とされる。続日本紀によれば、その大原は泊瀬と小治田の間で、高市郡に属するとする。
◆阿倍姫(皇女、応神と弟姫の子)
阿倍姫の事績は伝わっていないが、東生郡阿倍野の名から出たとされている。阿倍野は和名抄に載る東生郡余戸郷で、後に天王寺村と称された。余戸の義ではなく、阿倍を余戸と表記したものだという。万葉集の山部赤人の歌に「阿倍の島鵜のすむ石によるなみのまなくこの頃やまとし思ほゆ」とあり、阿倍野が潟湖の地であったことがうかがえる。

2022-03-12 6面
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