全斗煥元大統領の逝去と葬儀を伝える国内外メディアの報道は、本当に多くのことを考えさせられるものだった。大半の報道は、官庁で配るプレスリリース資料を紹介するような感じだった。
あるいは辞書から、ある単語や事件の概要を紹介するように報道した。一人の人間の死を伝える記事がこのように無責任で良いのかを考えさせられた。良い評ならそれでもいいかもしれないが、人間を死後に厳しく苛酷に報道するときは、最小限の公平性が要求される。すでに死んで反論できない亡者だから特にそうだ。
全斗煥大統領の葬儀はすでに終わったが、5日経った時点で未だに葬地は決まっていない。国家元首として当然受けられるはずの、国立墓地葬儀の礼遇も政治的に許されず、遺言によって遺骨を撒こうとしても許可されない。全斗煥大統領はそこまで悪人だったのだろうか。
もちろん、全斗煥の第5共和国に抵抗し、彼を呪った人々がいたのは事実だ。しかし、そのような人々のほとんどが「極左革命家」だった。全斗煥大統領の5共和国時代を生きた大多数の韓国人は、国内外のメディアの悪意に満ちた冷酷な報道とは違う記憶を持っている。その時代は韓国社会には活気があり、個人は自由と安全を享受し、希望と計画を持って自分の生を送った。庶民が貯蓄でき、家や自家用車を買う夢を持っていた。
全斗煥大統領の第5共和国は、東西冷戦が最高潮期の熾烈な理念戦争の時代だ。全大統領は、大韓民国憲法と自由民主体制の価値を守るために献身した。大韓民国を抹殺しようとした金正日は、全大統領の海外歴訪先にまで追いかけ、爆弾で暗殺を試みた。全斗煥大統領が大事にしていた大韓民国の人材が爆弾テロで犠牲になった。
少なからぬ人々が、全斗煥大統領が1980年5月の光州事態で犠牲者が出たことに対し責任があると誤解している。全大統領は光州事態の犠牲者の発生に何の責任もない。彼よりも責任を負わねばならない人々の方が多い。
全斗煥大統領を悪魔化したのは金正日と朝鮮労働党であり、彼らに追従していたいわゆる「主思派」だ。金正日と朝鮮労働党は、韓国を民主化するため全斗煥大統領を殺そうとしたのか。韓国全国の大学教授たちの集りである「社会正義を望む全国教授会」(正教会)は、全斗煥元大統領の葬儀が行われた11月27日、「全斗煥元大統領の葬儀に際して」という声明を発表した。6200人の教授たちは、全斗煥大統領を悪魔化し、彼の良心の自由を否定した世論に対して怒りを表した。また、一カ月先に死亡した盧泰愚元大統領と全斗煥元大統領の葬儀において、青瓦台と政界が見せた異常を指摘した。この異常さを北韓政権の独裁者に対する態度と比較すると、より一層目立つ。戦犯で野蛮的独裁者、虐殺者である金日成の回顧録の販売は許しながら、全斗煥元大統領の回顧録に対しては販売禁止を下した。文在寅政権と司法府は、この時代の狂気を助長したことに対して責任を負わねばならない。
「5・18光州」を聖域化してきた勢力がある。彼らは法を作って「5・18」に対する批判はもちろん、研究まで禁じている。彼らは金日成の南侵戦争、金正日の虐殺と国家テロ犯罪、そして中共全体主義に対する批判や非難はしない。
左翼は「良心の自由」を強調してきた。ところが、彼らは他人の良心の自由は認めない。彼らは全斗煥大統領に暴力的に謝罪を強要した。彼らは元大統領の良心の自由を否定し、彼がしなかったことに対して謝罪を強要する。
事実、全斗煥大統領は韓半島の歴史上、画期的に個人の良心の自由を拡大し、連座制を廃止した大統領だ。その全斗煥大統領の良心の自由を否定するのは、人間の道理ではない。 |