ソウルをはじめ韓国の都市を訪れると、背の高い巨大なアパート(アパトゥ)群が視界に入ってくる。寒さをしのぐ役割もある窓付きのベランダは特徴的だ。韓国のアパートは日本でいうマンションに相当するが、まとまって立ち並ぶ様子は団地ともいえる。アパートには民間によるものだけでなく、日本のUR都市機構に相当する韓国土地住宅公社(LH)による建物があり、これが公営の賃貸であるとともに分譲もされている。
さて時代を遡ってみたい。東京では戦後の住宅難により1949年に完成(68年以降、順次アパート化)した木造平屋の都営住宅である新宿区の戸山ハイツが代表的な初期の団地群だ。ソウルでも同様に朝鮮戦争後の住居難から50年代には復興住宅という長屋のような家が建てられ、現代まで残されてきた。
55年には日本住宅公団(現UR都市機構)が発足し、23区内はもちろん東京近郊にも団地が次々と開発された。初期の独特なデザインではスターハウスというY字型の建物もあるが、5階建ての団地は最も典型的だといえる。当時は団地で都市生活を送ることが憧れとなり「団地族」という言葉まで生まれた。
韓国では62年に大韓住宅公社(現LH)によって建設された麻浦アパートが韓国最初のアパート団地であり、6階建てでY字型の建物もあった。この年代には日本同様に低層の団地も建てられ、これを連立住宅ともいうが、土地効率の面もあってか、その後はより高層のアパートが主流となる。
| 狎鴎亭現代アパート |
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| 高島平団地 |
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70年代になると23区内では板橋区の高島平団地、江東区の南砂住宅、そして80年代初頭には練馬区の光が丘パークタウンのような10階以上の高層団地も目立つようになるが、この頃には民間による中高層マンションも増えていった。韓国でも民間によるアパート開発が盛んになり、70年代後半から建設された狎鴎亭現代アパートはその代表的な存在で、広めに作られたため富裕な層が住むようになった。これは漢江沿いに位置し、狎鴎亭の繁華街からも見える最高15階建てのアパート群だ。近くには百貨店が進出し、90年代には親の経済力を背景にこの街で高級車を乗り回す子息たちが「オレンジ族」と呼ばれたりと、当時の狎鴎亭は若者の流行の中心地としてにぎわいを見せた。
そしてもし機会があれば江南にあるソウル高速ターミナルの屋上へ行ってみてほしい。ここへ上がると、周辺のアパート群が一気に目に入ってくるが、特に江南の開発のなかではこうしたアパートが住居として主流となった。郊外では80年代に木洞に14団地にも及ぶ大規模アパート群が建設され、今も陽川区は韓国屈指の人口密度を誇る。また蘆原区の地下鉄7号線沿いに行くと、80年代後半以降に建てられた整然と立ち並ぶアパート群に出くわすが、最近では建て替えの動きもある。
その一方で日本ではライフスタイルの変化から持ち家志向が高まり、郊外の一軒家が好まれたり、都心ではマンションのような集合住宅が選好されるようになった。高度成長期に建設された築50年以上の団地には、今は懐かしいまなざしが向けられるが、徐々に建て替えが進む。
韓国ではアパート熱が冷めることなく、単独住宅といわれる一軒家よりも好まれ、今も開発が盛んだ。80年代後半からは20階以上のアパートが増えたが、地震が少ないことも理由だろう。そしてこれらは住むだけではなく、しばしば投機の材料にも使われる。都市への人口集中なども相まって、ソウルのアパート価格は上昇を続け、近年ではその不満により大統領の支持率をも脅かしているという。それはさておき、ソウルに出かけるときには車窓からでも十分だが、人々の暮らしの場にも目を留めてみてほしい。 |