私が高校生の時、夏季学校というのがあって韓国に行きました。日本全国から在日の高校生や大学生が集まって期間中、熱い議論をしていました。
そんな中、ある人が、
「うちの長男は」
と言って顔をしかめました。それを聞いて一人が、
「お前んとこもそうか」
と頷きます。続いて、その場にいた十人ほどの全員が頷きました。
これだけでその場にいた人は具体的に何も言わなくても、どういう状況であるかを理解しました。直感的に、これは在日全体もそうに違いないと思いました。何か、とんでもないことが起きている、と私は感じました。その後在日が集まって話すと、同じ光景が繰り返されました。間違いない。文化のぶつかり合いで長男の人格が破壊されている、と確信しました。
二世の長男は言うことはでかいが、人が良くて騙されてばかりいる。兄弟には威張るのに、威張るだけのことは出来ていない。ええカッコしいで金使いが荒い、等々の共通点があります。当時の在日は65万人と言われていました。男の子がいる世帯確率9割、一世帯五人として約12万人の二世の長男がいたことになります。これだけの人間が出来損ない(社会との人格不適合という意味で使います)だったのです。例外はいます。私の周りにも何人かいます。しかし全体的には出来損ないだと私は思いました。
そんなこととか、韓国が何なのかを知りたくて、私は学者になりたいと思いました。希望を父親に言うと、
「朝鮮人が学者になんか成れるわけないだろうが。ボケが。馬鹿な夢見てないで、きちんと稼いで俺から受けた恩を返せ」
とお話にならない説教を始めます。父親は韓国儒教に毒されており、子供は稼いだ金を全て親に貢ぐのが親孝行だと信じていました。ろくな奴じゃないと思いましたが、親を取り替えることは出来ません。仕方がないので、自分なりにいろいろな本を読んで研究して、二世の長男は韓国文化と日本文化の間(はざま)で押しつぶされた哀れな人たちだった、と結論づけました。簡単にいうと韓国文化の犠牲者でした。そしてその気質は三世にも遺伝しますから、全体の二割程度だとしても2・4万人です。三世の長男も数万人単位で出来損ないだろうと見ています。二世や三世の長男の中には精神を病んでアル中になったり、自殺したりした人もいたでしょう。しかしこれだけの被害者が、自分たちは韓国文化に人格を破壊されたという認識をしていません。
こう書くと韓国文化は悪と思うかも知れませんが、文化というのは相対的なものです。韓国文化そのものは悪ではありません。韓国文化を日本の地で実践しようとするから、日本文化とぶつかり、社会的な不適合を起こしてしまうのです。明治維新では日本文化が当時の社会情勢に合致していましたが、他国から侵略を受けたときは、韓国文化の方が適合します。文化とは相対的なものなので、存在それ自体が悪ではないということは常に意識していなければなりません。適合するかどうかなのです。
一世は韓国文化で長男を育てました。一家を守り、全責任を負うべき存在として育てました。文字も知らず学問もない人たちです。日本の地で韓国文化で育てるな、といっても無理です。当時の日本では東大を一番で出ても職はありません。金持ちになりたかったらヤクザをするしかなかった時代です。しかしヤクザになったからといって誰もが金持ちになれるわけではありません。責任は大きいのに、出来ることは殆どありません。二世の長男がおかしくなるのは当然だったと思います。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』『泣く女』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。 |