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2021年10月06日 00:00
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◆ドラマと文学で探る韓国 「自分を探しに行く物語」③
ドラマ「サイコだけど大丈夫」×小説「アーモンド」

(左から)ガンテとムニョン、ガンテの兄サンテ ©Netflix
「失感情症」(アレキシサイミア)という言葉が知られるようになったのは1970年代のことだ。その大きな特徴は自分の感情に気づけない、感情を表すことができないということである。そんな、感情をつかさどる器官が、アーモンドの形をした扁桃体だ。

小説『アーモンド』の原注によると、扁桃体が小さいと恐怖をあまり感じないが、後天的な訓練によって成長できる、と報告されているそうだ。扁桃体はわずか1・5センチ程度の小さな器官だが、感情やストレスといった現代人の心の中枢に大きくかかわっている。
小説の主人公、ユンジェは感情を表さないがために人々から疎外されている。誰も彼と友だちになろうとはしない。そこに現れた、激しい感情を持つ少年、ゴニ。他の人々はユンジェに感情がないと気づくと、早々に彼への興味を失っていくが、ゴニは違った。繰り返し繰り返し、ユンジェを煽り続けるのである。すると、ユンジェの心にも次第に変化が生じ始める。夏休みを毎日一緒に過ごすうち、ゴニへの興味を深めるユンジェ。身長が9センチ伸びたのとともに、扁桃体も少しだけ大きくなったのだろうか。

ドラマ『サイコだけど大丈夫』の主人公ムニョンも、ガンテ兄弟とかかわるようになるまで、希薄な人間関係の中で、孤独の殻を守って生きてきた女性だ。兄サンテのために、自分のことを後回しにしているガンテの、やり場のない激しい怒りや悲しみに触れ、ムニョンの心に芽生える感情は、積極的に人とかかわるという、これまで経験したことのない思いだった。
彼女はサンテと共に次回作を制作しようと決心する。自閉スペクトラム症のサンテは大ファンだったムニョンとの共同作業に舞い上がり、彼女が求める絵が描けるようになるまで必死に努力する。
現代人は誰もが少しずつ自分を隠し、自分を飾りながら生きている。ユンジェやムニョンのように際立っていなくても、自分は人と違うのでは? という強迫観念を抱いたことのある人は、恐らく少なくないはずだ。では、そんな時の自分は人とどこが違うのだろうか? あの時、みんなと一緒に笑えなかった、泣けなかった…。実はそんな些細なことだったのかもしれない。
『サイコだけど大丈夫』というタイトルは、まさにそんな私たちに贈られた応援歌のようだ。人とかかわることで少しずつ感情を学んだムニョンや『アーモンド』のユンジェのように、私たちは皆、少しずつ違うが、少しずつ同じなのだ。
サイコだけど、サイコじゃなくても、大丈夫だよ、と、ユンジェとムニョンが私たちに語りかけてくる。

青嶋昌子 ライター、翻訳家。著書に『永遠の春のワルツ』(TOKIMEKIパブリッシング)、翻訳書に『師任堂のすべて』(キネマ旬報社)ほか。

2021-10-06 6面
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