吉村 剛史 文・写真
東大門のファッションビル街の中央に、宇宙船のような姿で堂々と構える東大門デザインプラザ(DDP)という名の文化空間がある。2021年に再選した呉世勲ソウル市長肝煎りの「デザインソウル」という過去の政策のなかのひとつによるもので、イラク人建築家の故ザハ・ハディド氏の設計で14年春に開業した。ソウルの街並みがスタイリッシュになったのはこうした政策が少なからず影響しているだろう。ここには以前、東大門運動場という野球場・サッカー場があり、07年にその幕を閉じた。かつての後楽園球場のようであり、神宮球場や国立競技場のような存在だったともいえる。もし新国立競技場のザハ・ハディド案が廃止にならなければ、明治神宮の森にもそっくりな建物ができていたのである。
そんな東大門は韓国屈指の衣類問屋街として知られ、巨大なファッションビルが並んでいる。深夜に各地からバイヤーたちがやってきて、ここで衣類や靴などを仕入れていく。小売を行うDOOTA MALLやミリオレ東大門などには一般客も訪れ、世界からの観光客もショッピングを楽しむ。これほどの規模に匹敵する問屋街を東京東部で例えるなら、いくつかを合わせて考えるのが自然だ。まずは日暮里駅の東側にある日暮里繊維街を思い浮かべた。ここには生地や古着などのお店が90店舗以上集まっている。コロナ以前は和柄を買い求めにやってくる外国人客も多かったという。
また東大門のように衣類をメインに考えるならば、秋葉原電子街のお隣に位置する千代田区岩本町・東神田も挙げられる。ここは江戸時代には古着の街で、大正・昭和期には既製服の問屋街となり、神田川沿いにはその発祥の地としての案内板が立っている。今は商社ビル街で、1階で営業するお店もある。
左:東大門デザインプラザと街並み/右:合羽橋道具街と東京スカイツリー
少し離れた中央区日本橋横山町・馬喰町には呉服店や服飾店などが集まっており、前者よりも規模が大きく、東大門の卸売エリアのイメージに近い。とはいえ、ファッションビルに相当する背の高い建物は見当たらない。
ところで東京の東部で東大門デザインプラザに匹敵する新たなランドマークといえば、墨田区押上で12年5月に開業した地上634メートルの電波塔・東京スカイツリーであろう。まさに隅田川沿いの摩天楼だ。タワー方面から言問橋を渡ると、そこには由緒ある浅草の街が広がる。浅草寺の東側は花川戸の履物問屋街だ。こちらは低層の建物が並ぶ閑静な町で、通りの雑居ビルにもお店はあるが、品目はヒールやシューズ、草履や下駄など様々で、多くが1階の店舗で商いをする。そして服飾店街とは異なるが、近隣の問屋街のうち最も目立つ存在なのは浅草と上野のあいだの合羽橋道具街だ。いずれにも東京スカイツリーを望める場所がある。ここは食器や厨房用品のお店が並び、これをソウルに例えるならば東大門の東にある黄鶴洞厨房家具通りに相当するだろう。ここでは食卓に並ぶステンレス器や鉄板などが売られており、まさにソウルの合羽橋である。
ソウルの大門のひとつである東大門は、正式には「興仁之門」といい、他の大門よりも1文字多い。これは都の背後にある主山・北岳山の左青龍にあたる駱山の背が低いために東の”氣”が弱くなり、それを補うためだという。ちなみに東京では江戸城から見た北東は鬼門として位置づけられている。その中身は異なれど、いずれも風水の思想と関連する。
奇抜な姿をした東大門デザインプラザ、天高く聳える東京スカイツリー。いずれの建物も2010年代に東部の新たなランドマークとなったが、これらの存在が”氣”を強め、または邪気を追い払い、この地域の発展を見守ってくれているのだろうか、と両都市を歩きながら想いを巡らせた。
吉村剛史(よしむら・たけし)
1986年生まれ。ライター、メディア制作業。20代のときにソウル滞在経験があり、韓国100都市を踏破。2021年に『ソウル25区=東京23区』(パブリブ)を出版。 |