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2021年05月19日 00:00
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新解釈・日本書紀 応神<第3回>
伴野麓・著


「ある説によると、誉田天皇(=応神)がはじめ皇太子となったとき、越国に行き、敦賀の笥(け)飯大神に参った。そのとき大神と太子とが名を入替えた」(日本書紀・巻第十『応神天皇 誉田天皇』)

(3)なぜ名前を交換したのか

太子(応神)と笥飯大神が、なぜわざわざ名前を交換しなければならなかったのか。笥飯大神とは、福井県敦賀市の気比神宮の祭神である伊奢沙別のことだ。応神の元の名は伊奢沙別といい、敦賀で品陀別という名前に替わった。
伊奢沙別は、アマノヒボコ(天日槍)のことだという説もあり、新羅系山陰王朝の大王は、敦賀に都するアマノヒボコ一族の伊奢沙別(襲名)であったと見られる。つまり、応神はアマノヒボコ一族に成りすまして新羅系山陰王朝を簒奪したということになるのだ。
ホムタ(誉田)とイザサワケ(伊奢沙別)との名前交換の故事は、ホムタこと応神の本来の出自を隠蔽して、新しい出自に置き換えたとも考えられる。当時のイザサワケの居所であった敦賀(気比神宮)は、新羅系山陰王朝の一員であるアマノヒボコ王朝の宮城であり、そこへ参向して名前を交換したということは、応神の出自を新しく敦賀に設定し、それまでの経緯は消却してしまったということだろう。
「応神帝が人間でないことは、日本書紀に応神帝陵の記載がないことでもうかがわれる。応神帝は笥飯大神の人格化で、越前出身の継体帝の祖先神だ」とする向きがあるが、何か、釈然としない。新井白石が『東雅』で「上古の時、神といいしは人なり」と述べているように、理解しがたいことは神の名を持ち出して誤魔化してしまうのが、日本史学界の伝統的思考なのかもしれない。
『地名辞書〈越前国〉』は、「本居宣長が『日本書紀の記事は誤りで、太子の名を大神に譲ったもので、名前を変えたのではない』と主張しているが、古事記にも名前を変えたとはっきり書かれているうえ伊奢之真若という子もいるから、イザサワケ(伊奢沙別)も太子の一名だろう」と、本居宣長の主張を一蹴している。明治6年(1873)成立の栗田寛著『神祗志料』は、アマノヒボコ(天日槍)の一名をイザサワケとしている。
アマノヒボコの渡来は日本書紀では「垂仁紀」に収載されているが、古事記には「応神紀」で記述されている。古事記「応神記」の記事は、昔のこととして語られているから、垂仁の時代とするほうが理にかなう。『但馬故事記』は「孝安の世」としている。
敦賀(角鹿)を、弁辰系の華僑のコロニーとする説も見受けるが、弁辰は韓半島南部に存在した国々であり、その地に中国江南あたりの住民が移動してきたとしても、その弁辰の地でかなりの期間を過ごしているはずだから、もはや韓半島の住民とみなすべきだろう。
応神は、中国の文献には倭王讃、日本の文献に天日槍、去来紗別、大己貴、誉田、息長真人、荒田別、毛野臣などの名称で登場するという向きもある。また応神の兄は金王(日羅誉田別)であり、父は任那王の阿羅斯等だという説もある。阿羅斯等は任那王の龍主王に出、その祖先は沸流王ということだ。

2021-05-19 6面
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