韓国人は犯人捜しが大好きです。何か不都合があると直ぐに犯人捜しを始めます。そして全てをその者のせいにします。自分は汚れがない、清く正しく美しい人間です。
私の父親も常に都合の悪いことは母親のせいにしていました。子どもが不出来なのも母のせいなら、自分の金儲けがうまく行かないことも母のせいでした。私の父親は暴力は振るいませんでしたが、他の在日の家では暴力は日常茶飯事でした。そんな家の夫婦喧嘩を見ていると、男は女を殴った後で「俺を怒らせたのはお前だ。お前が悪い」などと言います。韓国人は自分に付いた厄を誰かに押しつけて、厄払いをしたいという古代から続く無意識を共有しています。
韓国を日本に売り飛ばす契約書にサインをした五人の大臣のことを五賊と言います。抵抗詩人の金之河は朴正煕政権の腐敗した者たちを、五賊を非難する形を取って痛烈に批判しました。そんな五賊を韓国人は非難して終わりです。そして非道な日本を責めます。しかし本当に反省しなければならないのは、開国を遅らせた朝鮮人の価値観であり、日本に対する備えを欠いた祖先の傲慢さです。
韓国人は根本を反省せず、国を売った五人の大臣だけを糾弾してそれで終わりです。五賊が判を押さなかったなら、次の五人が判を押していただけのことです。そして次の五人というのは、際限なく居るのです。中には命を失っても日本に抵抗する人も居たでしょうが、韓国人の圧倒的大多数は、五賊と同じ価値観を持っていました。そこを反省しなければ進歩はありません。しかし韓国人は誰も、自分も五賊の一人だったかも知れないという反省の仕方をしません。自分たちの間違いを正そうとせず、五賊や日本を犯人に仕立て上げて全ての厄を押しつけて、それで終わりです。
なぜ韓国人は厄払いをしないと気が済まないのでしょうか? 実はこれは人類共通の性癖です。人は暗闇を怖れ、悪いことが起こると原因があるからだと考えてその原因を取り除こうとします。
西洋では魔女狩りをします。ホロコーストもナチスがユダヤ人という魔女狩りをした結果です。東アジアの遊牧民はこれを犯人に厄を押しつけるという方法で行います。一方、倭人はみそぎで自分に付いた厄を洗い流します。では、日本人はみそぎだけをしているのでしょうか? 渡来人は多くが半島内で遊牧民族の影響を受けていますから、やはり犯人捜しをします。日本人は日本国内で犯人捜しをするために、厄を一手に引き受ける存在として被差別部落を作りました。ここで注目すべきは東北地方には被差別部落が存在しないということです。アイヌ人は共同体全体で厄を分担して、一人一人にかかる厄を小さくするという方法で厄払いをしていました。
ある日テレビのスイッチを入れるとたまたま韓国ドラマをしていました。田舎のおばさんが、
「そんなもの玄関に埋めて皆に踏ませれば良いんだよ」
と言っていました。ドラマの題名は覚えていませんが、これはアイヌ人の厄払いの方法です。現代の韓国にもアイヌ人の伝統が引き継がれていることを知り、大いに驚きました。
韓国には一部にアイヌの価値観が残っているものの、大多数は直ぐに犯人捜しをして軽挙妄動してしまいます。自分も五賊の一人足り得たと考えるなら、なすべきは、なぜやられたのかという反省であり、次への備えです。分析をしなければ、社会のどこをどう変えるべきかが見えてきません。私は、孝を忠より優先させる韓国式儒教が諸悪の根源だったと思っています。そしてその価値観は今も続いています。日本を犯人に仕立て上げて安心しているようだと、次もまたやられますよ。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。 |