<6 プロレタリアートの独裁>
もともと、「プロレタリアートの独裁」をマルクスの思想的核心だと宣伝して、軍隊的規律に基づく組織論を展開したのはロシアのレーニンである。たしかに、マルクスは『フランスの階級闘争』(1850年)の中で一時的に「プロレタリア独裁」という表現を用いたが、53年からは「独裁」という言葉を使うのをやめている。それは83年の死に至るまで変わらなかった。
「独裁」という言葉が過激だからではなく、その政治的な危険性に気づいたからだと思われる。また、19世紀後半のヨーロッパでは、すでに民主主義のかなりの発展があり、平和的手段による革命の可能性を排除できなかったからでもある。
しかし、レーニンの生きた帝政ロシアでは、民主主義の可能性に期待することはできず、革命の手段を暴力に限定する必要から、「プロレタリアートの独裁」という暴力的スローガンが絶対化されることになる。こうして、マルクス思想の持つ致命的な欠陥の一つが拡張された。
しかし、そのレーニンですらも、「プロレタリアートの独裁」を主張したその同じ著作『国家と革命』の中で、「プロレタリア国家がブルジョワ国家にとってかわることは、暴力革命なしには不可能である。(しかし)プロレタリア国家の廃絶は(暴力によらず)『死滅』による」(カッコ内は筆者)とした。「プロレタリアートの独裁」の範囲をあくまでも権力奪取の過程にのみ限定したのである。
しかし、レーニンの死後、共産党の組織理論を巧みに利用して同僚を排除し、党と国家の権力を独占したスターリンは、その独裁体制を維持するために、事実上、「プロレタリアートの独裁」を期限的にも内容的にも無制限なもの変えた。理由は、「帝国主義との長期の闘争」を必要とするからということであった。
<7 国家体質としての「暴力的粛清」>
権力に対するチェック機能のない共産党の軍隊的組織構造は、外部の敵に対しては効果を発揮したが、内部の野心家に対してはもろいものだった。
一度、誰かが最高権力を握ってしまえば、その集団主義的組織論理と軍隊的規律で人々をがんじがらめにし、革命のため、人民のためとして一切の修正努力と抵抗を排除できた。そして、権力維持のための最初の粛清が、報復を恐れて次の粛清に結びつき、暴力的粛清の連鎖が起こる。
政治は硬直化し、人材は枯渇する。秘密警察と密告の恐怖の中で人々の精神的独立性は失われ、利己的な人物が権力の周辺に群がって社会そのものを牢獄化する。
このような政治体制は、今後とも、どんな場合にも人類が選択してはならない最悪の政治形態だったのである。
ところでもしも誰かが金日成全集とスターリン全集とを並べて読む暇があるならば、前者にはいかなる意味における「独創」もなく、前者が後者の完全な模倣であることがわかるだろう。2013年の「張成沢粛清」事件は、このような歴史的土台の上で起こったものであり、平壤政権の暴力的体質がもたらした必然的な出来事だったのである。<8 民族統一の 方向性>
主に平壤政権の来歴を論じたこの小稿のタイトルを、あえて「東北アジア共同体と民族統一」としたのは、現在の事態はいずれ「民族統一」実現の方向で収斂されねばならず、それは将来における「東北アジア共同体」形成の一歩として認識されていければならないという意味である。
もしも、わが民族の統一をナショナリズムの視点、わが民族の国家的力量の拡張という観点からだけとらえて事を進めるならば、われわれの努力はかならずや周辺諸国のナショナリズム、国家的利害意識の壁にはばまれるであろう。民族統一はわれわれにとっては絶対善であるが、周辺諸国にとっては必ずしもそうではないからだ。われわれはもっと大きな視野をもたねばならない。
政治体制のずれや領土問題、さらには歴史問題をめぐるナショナリズムの高揚など、現在の状況からすれば東北アジア共同体の前途は厳しいもののように見える。
しかし、東北アジア共同体の目標は、単なる思考実験のためのテーマではない。数学の方程式でいえば、解を導くうえで欠くことのできない常数項にあたるべきものである。東アジアの平和な未来を展望するとき、必然的に目指すべき具体的な目標が東北アジア共同体だということなのである。
われわれにはすでにEUという偉大な手本がある。今日、世界の平和を支えているのは、国家主義的な国権の拡張を廃して地域住民の共存共栄を目指す、EUの市民的共同体理念だといっていい。
一例をあげて、韓中日の3国は、かつてなく互いに経済的に依存している。経済的に互いを必要としている。
中国は、たしかに日本に対する資本的依存、技術的依存を軽減しようとしてはいるが、それを完全に排除することは市場と資本の論理からして不可能である。
日本にとっても、中国市場から完全撤退する選択肢はない。事態は遠からず均衡点に到達することになる。
韓国にとっては、安定的周辺情勢の必要は言うまでもない。
今の極東の状況は、各国がポールポジションを争って、それぞれの立ち位置を決めようとしている過渡的段階と見ることができる。必ず揺れ戻しが起こり、地域国家間の安定的関係と地域住民の共存共栄に向かう次の一歩が踏み出される。
一方、われわれが最終的に民族統一という半島住民共通の宿願を果たそうとする段階では、われわれは周辺諸国の国家的利害や安全保障に配慮せねばならず、その妥協的努力はすなわち、地域の平和を目指す東北アジア共同体形成への進路と軌を一にするのである。(終わり)
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- 2014-04-09 3面
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