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2014年04月02日 03:35
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大韓民国への反逆 その連鎖を絶て(8)
康宗憲の“位”が見えたソウルの法廷

 康宗憲はソウル高裁の再審で無罪になったが、法廷には韓国全国から、そして日本からも多くの公安事犯の連累者などが応援に駆けつけた。これにより康宗憲の”位”が推測できたといわれる。その中には往年のスパイもいたが、驚くべきことに彼らの多くが年下の康宗憲に丁寧にあいさつをしたという。
 康宗憲の弁護士は沈載桓だった。沈載桓弁護士は統進党の李正姫代表の夫で、スパイ事件など公安事件を専門とする従北弁護士だ。沈載桓は大韓航空機爆破テロ犯である金賢姫が北韓工作員ではなく、偽物だと断定したことで有名だ。
 その沈載桓が康宗憲の弁護士だった。国内外の従北派の全面支援を受けた康宗憲は、朝鮮労働党党員なのか? 彼と平壌の関係はどのようなものなのか。
 康宗憲の自叙伝の中には彼の正体を判断できる手がかりがあちこちに散見される。注意深く拾って読むと、康宗憲の正体が浮かんでくる。
 彼の自叙伝には前後が矛盾している部分があることはすでに指摘したが、その中から康宗憲と朝鮮労働党の関係が類推できる決定的な部分を紹介する。
 康宗憲は2001年8月、平壌で開催された「民族統一大祝典」に海外代表団の一人として参加したときのことを自叙伝の中で割合に詳細に書いている。やや長いが、康宗憲自身の告白なので、自叙伝の152ページから154ページの中で重要な部分を引用する。

 思うところがあり、これが最後の訪朝になるかもしれないと考えていました。それで、二人の方との特別面会を申請しました。大田刑務所の特別獄舎でお世話になったKさんとLさんです。非転向長期囚として三〇年近い歳月を収監されたお二人は、釈放後の2000年9月、南北首脳会談の合意により北に送還されたのです。そのときに、家族の待つ北の地に帰還した非転向長期囚は63人でした。
 私は二人の家庭をぜひ訪問したいと思いました。しかし、面会を担当する部署からは、ホテルで会うようにとの通知がありました。
 (中略)大会の行事も終わった8月17日、お二人は宿舎の羊角島ホテルまで来られました。私は心を鬼にして、「ホテルでは会わない」との意思を担当者に伝えました。
 (中略)その夜、担当部署との長い、そしてシビアーな交渉が始まりました。
 (中略)最終的に私が伝えた意思は次のようなものでした。
 「先生方の生活を公開しない事情はよく分かります。でも私は、お二人と南の刑務所で苦楽を分かち合った仲間です。今も同志的な信頼関係で結ばれています。この祖国は、革命同志の義理を何よりも大切にする国ではなかったのですか? この私に、ホテルで会えというのですか? 家庭を訪問して、家族の方にもあいさつをするのが道理ではないですか! 上部の責任ある方に私の意思を伝えてください。もし、獄中で共にたたかった同志の家にも行けないなら、私がこの国を再び訪れる必要はありません」
(中略)翌日の朝、担当者から「特別の配慮です。昼過ぎにLさんの家を訪問するので準備してください。Kさんもそこに合流します」といわれました。(傍点は編集部)

 やはり康宗憲は平壌で北の当局と特別交渉ができる存在だったのだ。これは普通の人間ができることではない。しかも康宗憲の要求は、「特別の配慮」として通っている。彼の再審法廷になぜ、スパイをはじめ大勢の公安事犯の連累者が駆けつけたのかがよくわかる。
(続く)

2014-04-02 1面
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