韓半島は66年前の8月15日、日本の植民地支配から解放された。だが、解放は韓民族の国権の回復ではなかった。韓半島は分断され、それは今も続いている。
韓半島の南に自由民主主義の近代国民国家が誕生したのは解放から3年後だった。大韓民国の建国だった。韓国の「国慶日に関する法律」は、この1948年8月15日の「独立記念日」を光復節として規定した。
大韓民国は建国当初から東アジアを席捲した共産主義と戦ってきた。金日成がスターリンや毛沢東の全面支援下で韓国への侵略を開始したのは、韓国の建国から2年後の1950年6月25日だった。この「6・25南侵戦争」は1953年7月に停戦協定が結ばれたものの、61年たった今も続く、韓半島史上最長の戦争になっている。
今年の8月15日を光復(解放)66年とするか、建国63年とするかは、現代の韓国人にとって大きな意味合いを持つ。言うまでもなく、南北韓は1945年8月15日、同時に解放された。その時南北は同じスタートラインに立っていた。否、工業化が進んでいた北韓地域の方が、経済的には韓国より遥かに有利だった。
ところがその後両者が歩んだ道は、まったくの正反対であった。韓国は自由民主主義を選択し、北韓は社会主義を選択した。韓国が自由民主主義を国家理念として打ち立て工業化に成功し、大きな痛みをともないながらも民主化に成功したのと同じ時期、北韓には社会主義とは似ても似つかない世襲制の「金氏王朝」ができ、その存続のために多くの住民が奴隷状態におとしめられている。
金日成による南侵戦争は韓半島を完全に灰にした。停戦協定が結ばれた時点で韓半島は徹底的に破壊され、植民地以前の悲惨な状態に戻った。
ところがその後南北の間には、同じ民族とは到底思われないほど対極の差ができた。20世紀の国民国家の成功の模範と言われる韓国と、失敗国家・危険国家の典型としての北韓。この差はどういう理念に基づいたのかの差であり、自由民主主義を植付けられた指導者を持ったかどうかの差でもある。
建国に目を向けると見えるもの
建国理念を再確認することで見えてくることがある。
まずは、いずれ韓民族が成さねばならない統一へのビジョンだ。自由民主主義による、つまり韓国主導による統一なのか、「6・15宣言」が唱道する金氏王朝との連邦制による統一なのか、である。これについては多くを語らずともいい。「自由民主主義を捨て、偉大な将軍様の奴隷として生きる」と願う人がどれほどいるかということだ。
3代目への世襲を企図する「金氏王朝」の北韓は、核ミサイルは持ったものの、「強盛大国」どころか、奴隷状況の人民を食べさせることすらできない。
韓国民にとって、奴隷状況の北の同族を解放するという統一の意思を堅固にしてくれるのも建国理念を見つめなおすことで明らかになる。日本の植民地統治は35年間ですでに66年前に終わった。北の同族は今も日本の植民地の2倍に近い年月を、「日帝」よりもひどいスターリン主義の植民地、そして封建的「金氏王朝」の暴圧体制の下で喘いでいる。
さらに建国理念に基づいて作られた大韓民国憲法は、我々が打倒すべき対象を教えている。我々の「敵」は、北韓住民を奴隷状況から解放することを妨げる勢力だ。敵を過去や歴史の中から見出すのではなく、現在と未来において北韓の解放と韓半島の再統一を妨害する勢力の中に見出さねばならない。
8月15日は解放を記念する日ではなく、南北の現状と、その差を生んだ建国の理念の違い、大韓民国の建国の主役に目を向け感謝すべき日であろう。
韓国が選ぶべき道
暴圧を敷く「金氏王朝」との「連邦制」合体を試みた従北政権10年間がもたらした韓国社会の混乱と迷走は深刻だ。だが残念ながら、韓国の現政権に、韓半島歴史上最悪の独裁体制を克服するための積極的姿勢は見られない。
韓国政府と国民は、8月15日に南北の建国理念の違いに目を向け、建国理念に立ち返るべきである。そして統一という課題を実現するために、一つにならなければならない。そのためには来年の選挙が課題になってくる。これは韓国だけでなく、同じ理念を持つ外国にも同調・同参・協力を求めるべきことである。
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