金大中(朝鮮日報顧問)
貧しくて暮らしが苦しかった家でも、余裕ができ生活が安定すれば、自分の家や周りを見て、借金を返済し人間としての道理をするようになるのが世の中の当然な道理だ。国も同じだ。国が貧しかった時は神経を使えなかったことを、遅れてからでも本来の位置にしてあげることが成熟した国民と健康な国が優先的にやるべきことだ。
それは正に、大韓民国の誕生の「族譜」を整理することだ。今日があるようにした人々への礼儀、彼らの寄与と犠牲に対する報勲の意を忘れないこと―それが即ち民族の出来具合を計る尺度だ。「6.25戦争」60周年の今年、われわれは本当に大人らしいことをやった。あの戦争の時、大韓民国を護った自由世界の人々の労苦と犠牲を忘れず彼らを訪ね、招請して、また追慕する立派な行事らを行った。
われわれの内部でも新しい変化の機運が話頭になりつつある。今や共同体的意識を発展させて統一の時代、東北アジア時代を開こうという議論が提起されている。政界も「親庶民」や「公正な社会」を話し、平等と自由を論じるなど、「いい暮らしの国」、「品格のある国」の風貌を見せ始めている。そうするためにわれわれは先ず国の出来具合、または、国らしさを作らねばならない。それは即ち大韓民国の正統性を正しく立て護って行くことだ。
大韓民国の正統性を最も象徴的に示せるのは、建国の歴史、建国の人物たちに対するわれわれの自負心を通じてだ。そういう意味でこの地に建国大統領の李承晩の記念館一つないということは国の羞恥だ。象徴物から見ればわが国に「朝鮮」はあっても「大韓民国」は無い。世宗大王と李舜臣将軍が世宗路を見守る唯一の人物ということは、この地の去る500年の歴史が無意味だったという意味でもある。
どうしてわれわれは大韓民国の建国大統領記念館一つ作れずにいるのだろうか? 右派は李承晩が「4・19」を触発させた独裁政治家だったため建国の歴史に汚点を残したと言っており、左派は彼が分断の主導者でありそれで統一を阻害した人だと罵倒している。だが、誰が何と言っても、李承晩は大韓民国の憲法を作り、政府を建て、「6・25」を勝ち抜き、われわれを米国を媒介に世界へ進むようにさせた指導者であった。それはこの民族を救った成功の歴史だった。彼がいなかったら、この地は早目に「共産国家」になっただろう。共産主義者らが今も李承晩を怨み排斥する理由だ。
李承晩が誤ったことや、また左派が主張する「単独政府樹立」の問題などは、記念館を先に建ててからそこに記録すれば良い。記念館だからと言って、誰かの自叙伝や回顧録のように良いことだけを展示するわけにはいかない。それが記念館の客観性だ。白凡・金九の記念館は建坪3000坪に総事業費180億ウォンで2002年に建設されたのに、初代大統領の李承晩の記念館がないということは如何なる「政治的詭弁」を以ても説明できない。退任し、死亡した前職大統領の三、四人がすでに記念館らしいものを持っているのに、なぜ李承晩だけがないのか。「建国」でなく、「4・19」が問題なら、それよりひどい問題を引き起こした前職大統領もいるのに、なぜ彼にだけ「足かせ」をつけているのか。李承晩大統領の銅像どころか記念館も無いのが彼が保守・右派の反共主義者だったためなら、それでは今この国はどういう国なのか?
昨年の12月、国会を通過した前職大統領記念事業推進予算は、李承晩記念事業にわずか30億ウォンを割り当てた。それさえも民間団体である記念事業会がマッチングファンドで同じ金額を集めてこそ執行できるが、遺族や影響力のある追従政治家たちが全くいない李博士の場合、「募金額があまりにもわずかで明らかにするのが恥ずかしい」というのが事業会側の説明だ。関連部署である行安部と報勲処も「何の計画もない」と言っている状況で、左派が大きな声を出している国会と建国の歴史に無関心な青瓦台が発想を変えない限り、この地は長期間「政治的族譜のない」状態で行くしかない。特に大韓民国歴史の主役である李承晩と朴正煕の呼称には無礼ながら、すでに「(失敗の)歴史」になって久しい北韓の金日成には行儀正しく「主席」を付け、金正日には例外なしに「委員長」と呼ぶ一部言論に慣れている風土では尚更だ。
この社会に寄付が多いのは歓迎すべきことだ。大企業らが社会の陰に留意する姿勢も望ましい。だが、われわれがわれわれの族譜を正しく整備し大韓民国の表札を正しくつけるために建国大統領の記念館から優先的に建てることはそれに劣らず重要だ。李明博大統領が李承晩記念館を建てることに決断が下せないなら、どこの財閥が一つくらい乗出してもいいのに、皆が左派がそこまで怖いのか? 本当にそうであるなら、大韓民国の国民が直接乗り出す時だ。
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