どういうひとかはよくわからないけれども、とにかく片桐洋子は、自分の気づかぬうちに、自分を見つめてくれていたひとだ。自分が指の皮をむしるのをひそかに心配してくれたうえ、その癖をやめるようにと、わざわざ鬼胡桃(おにぐるみ)を贈ってくれたひとだ。
洋子の記憶が、次第に祥一の心の空虚を充たして行くようだった。想う人がいないのは寂しい、と後に洋子はいったが、その頃、彼は、無意識のうちにも洋子を想っていたのだろうか。想うことによって、わずかでも心の空虚を紛らせていたのだろうか。
大学に入ってしばらくのあいだ、彼も、いわゆる五月病に陥っていたのである。息つく間もないほどの受験勉強から突然解放された反動からか、彼の心は一種の虚脱状態に落ち込んでいた。
T大学は、彼の第一志望の大学だった。朝鮮人である以上、そして、国籍による就職差別がこの社会に根強くある以上、並みの大学では駄目だ、と彼は思っていた。いくら朝鮮人でも、一流といわれている国立のT大学を出れば、普通の日本人のように、何かまともな職業に就けるのではないか、そう考えたのだった。
希望通り、どうにかT大学入学を果たせたというのに、どういうわけか、合格を知らせる電報を受けとったとき、彼の裡の領したのは、喜びというよりは、むしろ、なぜとも知れぬ空(うつ)ろさだった。
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電報が敦賀の家に届いたのは夕方だった。母はじめ家族の者は皆喜んでくれた。
「よかったねえ。お祝いに、今夜はうんとご馳走を作らなくちゃあなあ」
と母は、わざわざそのための買物に出かけたりした。純子などは、早く父にも知らせなくては、と三月の冷たい風が吹く中を、店に自転車を走らせさえした。
祥一は、二階の自分の部屋の机に向かい、電報を前にしながら、腕を組み、しばらくぼんやりしていた。窓の向こうの暮れがかっている空には、どんよりと暗い雲が立ちこめていた。
電報を見た瞬間、彼はほっとした。ところが、そのほっとした心持が、喜びに結びつくというよりは、心から力が抜けて行くような、虚脱感にと変わって行くのだった。
彼は、東京のT大学構内の掲示板に貼られている、合格者氏名に混じっているはずの自分の名前を思い浮かべた。その名前が、少しも輝いているようには感じられない。その掲示板に名前をのせるために、自分は厳しい受験勉強に耐えてきたのだろうか、という徒労感にも似た空ろさをおぼえた。そのとき、彼は、合格することによって得たものというより、合格するために失ったものの重みの方を、心の中で量(はか)っていたように思う。
合格の知らせを受けて早々に感じたその空ろさは、上京して大学に通いはじめてからも救い上げられなかった。彼は、人生の目標を喪失してしまったような気持にさえなっていた。
T大学入学といった種類の、明確な目標がさっぱり見えない。大学の講義も、教養課程におけるそれは、高校時代に学んだ内容の復習にすぎないたぐいのものが少なくなく、味気ないのが多かった。
こういう味気ない講義を聴くために、自分は大学に入ったのだろうか。こういう勉強が何年か続いて、卒業して、社会に出る-その社会もまた彼の目に、いかにも茫漠(ぼうばく)たるものであった。
据えるべき足場についてまるで見当がつかず、彼の心は宙に浮いていた。
1984年8月25日6面掲載 |