金東吉
突然何の和解か
8月10日、金泳三氏が金大中氏を延世大学のセブランス病院へ見舞した事実を全新聞が特筆大書しています。第14代大統領が、重病で死境をさまよう第15代大統領を病院に見舞いすることがそう驚く事ではありませんが、「YSがDJと和解した」というヘッドラインが問題なのです。
死の敷居に差し掛った患者が、ある個人に大きな傷を与えたのを生涯胸の中で痛く思い、死ぬ直前に「懺悔」するように、過ちを自白して赦しを請うことはあり得ます。しかし、今回やったという二人の和解がそのようにして行われた和解ではなくありませんか。健康な人が病気の人を訪ねたが、患者の病状が和解を求めるほどの状態ではないということに問題があります。
それでは、今度やったという「和解」は、いったい何の意味があるのですか。金泳三大統領に一つ訊きたいのは、金大中氏を訪ねて、彼が死ぬ前に謝らねばならないことが果たしてありますか。お詫びをしないと、謝罪を受けないと、「和解」は成立できないではありませんか。国の大任に就いたことのある人々が、そのようにいい加減にやると、国民は馬鹿になれとも言うのですか。
二人の不和は、理念上の問題ではなかったというのですか。単純な感情上の問題だったというのですか。金大中氏の「反米・親北」路線に反対し、自由民主主義を護ろうとした金泳三氏は、相手に何のお詫びをして「和解」を請ったのか、われわれに教えて下さい。安っぽい感傷主義は祖国の将来を乱します。金東吉
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