「何だって合成化学科の三年に進級したというのに、留年することにしたんですか。合成化学といえば、いまじゃ花形じゃないですか」
こんどは岡田が玉子焼を口にしながらきいた。彼は性格が明るく円満であるごとく、顔も卵形の円満な顔つきをしていた。背丈は三人ともほぼ同じだが、祥一と伊吹が痩(や)せ型で、表情も神経質そうなのに、岡田のほうは適度に肥えていて、表情も悩みなどないかのように平和気だった。二年続けて留年し、来年の春また単位が足りなかったら退学処分に附されるというのに、それを懸念している様子も見えない。芯から楽天家なのだろう。郷里は宇都宮で、そこで母親が洋品店を開いており、父親は岡田が小学生のときに病死したために、母一人子一人だと、さっき食堂にくる途中岡田はいったが母子家庭の育ちという暗さは微塵も感じられなかった。
伊吹は郷里は仙台で実家は医院を営んでいるといった。とすると、伊吹は少なくとも岡田よりは恵まれた環境に育った人間に思える。なのに、彼の全身に陰気なものが感じられるのは何のせいだろう。
祥一は、自分の実家は敦賀でパチンコ屋をしているといった。すると、岡田は、
「パチンコ屋って、儲(もう)かるんでしょう」
笑いを浮かべ、屈託のない口調でいった。
「うまく行けば儲かるでしょう。しかし、競争が激しいからね、潰れる店もありますよ」
伊吹はそんなことには関心がないという様子で、無言のまま眼鏡(めがね)を外し、手で顔をちょっと撫(な)でた。祥一も眼鏡をかけているが、上部分だけが黒く、下部は透明の縁だが、伊吹のは縁全体が焦茶色だった。岡田は眼鏡はかけていない。
合成化学科は花形の学科だとの岡田の言葉に、祥一はアジのフライを頬張りつつ、内心苦笑をおぼえた。彼が、工学部の中でも特に合成化学科を選んだのは、そこに製図と数学がないからにすぎない。教養課程のときから、彼は製図が苦手だった。図面を引く作業に、味気ないものしか感じられなかった。
数学も彼には難解だった。受験生時代は数学はむしろ得意のほうの科目で、それが理科を受験することに決めたひとつの要因になっていたのだが、大学に入った途端、にわかに彼は数学に自信を失くしていた。
入学したばかりのある日の数学の授業のとき、「円の中の一点と、円の外の一点を結ぶ曲線はかならず円周と交わることを証明せよ」という問題が出されたことがある。祥一は証明の方法に窮した。円の中の一点と、円の外の「点を結ぶ曲線はかならず円周と交わる。あたり前ではないか。彼は腕組みをし、途方にくれた。これが数学の問題だろうか、とさえ思った。
受験数学が算術的数学とすれば、大学での数学は、論理学的数学とでもいうべきものだった。算術的数学に慣れ切っていた彼の頭では、その問題に答えようがなかった。
時間切れになり、彼はやけくそな気持で、
「自明なり」
となぐり書きして答案用紙を提出した。
後日返された答案用紙には、赤鉛筆で、これもなぐり書かれたように大きなマルが記されていた。零点という意味である。乱暴な筆致の赤い円に、ふざけるな、といっている教授の心が感じられるような気がした。ふざけているわけではない、と彼は心の中でいった。そして、数学に対して躓(つまず)きをおぼえた。こういう数学は自分の手に負えそうもない。
得意だったはずの数学に自信を失くしたのは、あの日のその問題がきっかけだったといえようか。
第3198号 1984年7月11日(水曜日) 4面掲載 |