章・ページ割にも意図反映 区分もかえて「改ざん」徹底的に
節から章に“昇格”さす
新版党史『略史』と旧版『闘争史』の全体の構成を量の面から比較・検討すると、双方の相違点はより明確になってくる。
別掲の表にあらわれているように、『略史』と『闘争史』は、まず量の面で著しい差をみせている。本文だけで「略史』が総755ページであるのに対して、『闘争史』は総224ページである。これで、『略史』が『闘魚史』の3倍以上の分量からなっていることがわかる。
この分量の差は、『闘争史』の記述が1956年6月どまりで、『略史』のそれが70年代まで延びているにしても、やはり大きい。
次に目につくのは、党史の叙述起点であろう。『闘争史』の第1章に当たる時期(1910~1928年)の叙述が『略史』からスッポリ抜けおちていることである。すでにみたように、この章は「朝鮮における初期労働運動とマルクス・レーニン主義の普及。朝鮮共産党の創建とその解散」と題され、全体4節で構成されている。「闘争史』にあるこの章が『略史』にはないのである。つまり『闘争史』がこの時期を無視・黙殺していることを、この表は雄弁に物語ってくれる。
『闘争史』の第2章(1929~1945・8)にほぼ該当する時期は、『略史』は4つの章に区分している。第1章(1926~1931・12)、第2章(1931・12~1936・2)、第3章(1936・2~1940・8)、それに第4章(1940・8~1945・8)である。この4つの章を通じて『略史』は、いわゆる金日成中心の“革命伝統(抗日武装遊撃隊)”を裏づけるための記述をしているわけだが、それにしても大変な力を入れていることがわかる。『闘争史』ではわずか47ページ、5節で構成されているのに比し『略史』はその部分を約4倍の195ページに拡大、しかも4つの章に“昇格”させている。
『闘争史』が出された1961年は、既述のように金日成神格化が本格的に始動しはじめた頃である。50年代末項にはすでに『パルチザン参加者たちの回想記』が出され、大衆レベルでの金日成による“革命伝統”づくりが大々的に展開されていた。このようなキャンペーンをもとに、それ以前の歴史記述が書き改められ、出されたのが『闘争史」といわれた。したがって『闘争史』は、当時から「北」内部でも、また「北」問題専門家の間でも、金日成偶像化・神格化のための産物であり、党史といえないしろものといわれていた。・
“革命伝統”作りへ腐心
『闘争史』のこのような性格に留意すれば、『略史』がこの時期の叙述の量を約4倍に増やし、新にに4つの章に独立させたことの意図は自ずと明らかになる。金日成中心の“革命伝統”づくりを従来にましてより徹底的に進めたことを実証しているからである。さらに、そのために『略史』は、各章の節ごとに具体的な事実をあげている。例えば、第1章の第2節では、
「偉大なる首領さまにおかれて打倒帝国主義同盟の結成。新しい時代の共産主義者たちの育成」と、金日成がわずか14歳である1926年10月に「打倒帝国主義同盟」なる抗日組織が、かれの指導でつくられたかのように述べられている。だが、これに対する論拠の提示らしきものは何一つない。つまり、史実に裏づけられていないのである。このようにして『略史』は、金日成による“革命伝統”なるものをどんどん水増ししていく。
『略史』と『闘争史』記述のもっとも大きな差の一つは、「8・15解放」から56年までの叙述に費やしている分量にも、あらわれている。『闘争史』がこの期間の叙述に141ページさいているのに対して、『略史』は317ページ、2倍以上の量である。この分量の増大の中味が反金日成系の建家・ソ連系の粛清にさいていることは前編に言及したとおりである。
「解放」後記述にも特徴
双方のいま一つの差は、別掲表の『闘争史』後半の空欄にあらわれている。『略史』第八章の後半から一部はじまっている1960年から70年代にわたる時期の叙述である。この時期の叙述に「略史』は、約250ページ使っており、第9章の第1節は「朝鮮労働党第4回大会」ではじまっている。金日成が党内反対派をほぼ一掃し、文字どおり全権を掌握した後の新しい段階に入る時期といえる。
それだけに『略史』は、それ以前にもまして金日成の"業績4を書き連ねる。例えば第9章ではこのように-。
第2節、偉大なる首領金日成同志におかれて創造された大安の事業体系と新しい農業指導体系
第10章も同じトーンで叙述されている。第1節は「朝鮮労働党第1回大会」にあてられており、次のようにつづけられている。
第2節、3大技術革命遂行の突破口を開くための闘争。全社会の政治思想的統一の全面的強化。朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法の採択
第3節、思想、技術、文化の3大革命をより強く進めるための闘争。3大革命小組運動
第4節、全社会の主体思想化方針。偉大なる首領金日成同志の古典的労作<党事業をより強化することに対して>
以上、『略史』と『闘争史』の時代区分、および量の面における差の比較を通しても、『略史』の性格、意図は鮮明になる。金日成神格化が始動した頃に著され、そうであるがゆえに政治的偏向性が前面におし出された『闘争史』も、その面では『略史』のそれには比べられないほど見劣りする。『略史」の本格的な歴史書きかえ作業は他を寄せつけず、、きわだっている。
(表)『闘争史』および『略史』の対比表
鄭益友(論説委員)
1980年5月15日 4面掲載
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