27番歌にはとても重要な句がある。最後の「人四來三」は「冥土の使者12人が来る」と解読される。四三は九九の四×三=十二を略した句だ。これは古代にも九九があったという話だ。証拠を提示する。
韓半島の古代王国である百済の首都、泗沘城の跡から九九が書かれた木簡が、ほぼ完全な状態で発掘された。古代九九の明確な証拠だった。
古代の九九表には三四=十二が記されていた。百済の泗沘城は、新羅と唐の連合軍によって660年に陥落した。十市皇女が678年に亡くなったから、27番歌の九九は泗沘城の陥落18年後のものと見るべきである。日本で最も古い九九が万葉集の27番歌で見つかった。
後日、万葉集を編纂した者は、天武天皇が娘の十市皇女のため詠んだ25・26・27番歌を揃って配置して置いた。編纂者は、十市皇女が父の天武天皇にとって誰よりも大事な娘であることをよく知っていたのだ。
では、なぜ十市皇女が天武天皇にとってそこまで尊い娘だったのだろうか。衝撃的な歴史の秘密が万葉集の156番歌に記されていた。
三 諸 之 神 之
神 須 疑 已具 耳矣自
得見監乍
共不寝 夜叙 多
三人が一緒に行こうよ。
そなたが行けよ。
そなたは夫の大友皇子を疑った。
(彼との間で)すでに息子をもうけていた。
怪しい動きに関する情報を得て見て監視した。
片時も怠らなかった。
(夫と)一緒に寝ず、深夜に文を書き(天武天皇に知らせたことが)多かった。
作品中の「諸」は、キムチである。冥土の使者に作ってあげるおかずである。現代の韓半島では、葬儀の際に冥土の使者のため、死者のご飯と一緒にキムチ(おかず)を供えている。古代日本の文化と韓半島の来世観が同じルーツであることが分かる。
「須」は十市皇女の夫、大友皇子と解読される。大友皇子は壬申の乱で天武天皇によって誅殺された。このことによって天智天皇系の皇統が絶え、天武系が99年も続いた。天智系の皇統は現在の天皇の系譜と繋がっている。
「耳」は「8代の孫」の意味で解読され、大友皇子と十市皇女の間に生まれた葛野王(かどののおう)と解読できる。
「得見監乍 共不寝」の句は、万葉集研究者たちの間で最大の難関句として知られている。漢字を古代日本語の発音として捉える解読法で万葉集を解くから行き詰まったのだ。
郷歌の制作法によって漢字を意味で捉えれば、さほど難しくなく解けるようになる。読者の皆さんに、今一度申し上げたい。万葉集を郷歌制作法で解釈すれば、今までとは違う新しい物語を見せてくれる。そこに日本の本当の歴史が現れる。
万葉集に隠されていた悲劇の人生 十市皇女(万葉集25・26・27・156番歌) <つづく> |