第2次世界大戦末期の1945年4月1日、安導権(戦時中の安全航行権)を約束された貨客船「阿波丸」(1万2000トン)=写真=が台湾沖を日本へ向けて航行中、アメリカ海軍の潜水艦によって魚雷攻撃を受けて撃沈し、2000人もの乗員のほとんど(1名を除いて)が死亡した事件がありました。
この阿波丸は、東南アジアに収容されているアメリカなどの連合軍捕虜などへの救援物資を届けるため日米間で安全航行を保証した船でした。
安全という理由で、シンガポールから日本企業の社員や役人が多数乗り込んでおり、タイタニックの場合(1500人)よりも多くの犠牲者を出してしまったのです。この撃沈には、アメリカ軍の司令部も驚いたようです。
しかし、アメリカ軍は攻撃した潜水艦の艦長を「不注意」を理由に戒告処分で済ませました。
日本政府は、戦時国際法違反として抗議したくらいでしたから、巨額の賠償も請求できましたが、結局、敗戦後、アメリカからの食糧援助は無償と思っていたのが有償とされ、その返済額と上記賠償が相殺とされました。
また当時の日本の国会はアメリカに対して食糧支援を感謝した上、阿波丸の賠償請求権を放棄する決議(昭和24年4月6日)を採択しました。アメリカも当初は賠償支払いを考えたようでしたが、マッカーサーが反対し、結果的に日本政府が1人7万円を遺族に支払うことになりました。
この阿波丸事件と類似の事例があります。1937年12月に南京から米国人を避難させるために航行していたアメリカ海軍の「パネー号」を日本海軍機が誤って攻撃し、撃沈させ、死者3人、重傷者48人の被害を与えた事件です。この事件に対し、日本政府は誤爆であると陳謝し、翌38年4月に220万ドル余を支払って解決したのです。一時はアメリカの世論も激高したのですが、日本政府が早急に謝罪と賠償をしたので、収まったと言われています。
以上、二つの事件で参考になるのは、戦時であっても国際法に違反した行為があれば加害国は被害国(被害者)に損害賠償をしなければならないということです。日本はアメリカとの関係で加害者側(パネー号)と被害者側(阿波丸)の経験があり、それなりに賠償についても決着を果たしたのです。しかも、阿波丸の場合、日本の国会(参議院本会議)は、上記のように、「昭和20年4月1日発生した米国海軍艦艇による阿波丸事件の場合、撃沈事件に基づくすべての請求権を、自発的かつ無条件に放棄すること」との決議を採択しました。この請求権の放棄が法律的に有効であるかは不明ですが、阿波丸協定が、個人補償の請求権の放棄を定めた唯一の事例であることは確かです。そうすると、従軍慰安婦問題などで、被害者が主張する個人補償請求権も理論的に成り立つ余地が十分にあると思うのです。
いずれにせよ、パネー号事件に見るアメリカの追及姿勢は原則を譲らないのに対し、日本側はひたすら謝罪し、請求された賠償額を丸のみしています。他方、阿波丸事件では日本政府が請求すればパネー号の少なくとも100倍の2億ドル以上を請求できるのに結局、食糧援助と相殺とするアメリカ側の主張に従ったのです。しかも被害者家族には一人7万円の見舞金で我慢させて、賠償請求権までも放棄するのは、あまりにも人の命を軽んじるものではないでしょうか。先の大戦の有り様を象徴する出来事と思う次第です。 |