統一日報と元心昌 67年の筆鋒と使命

不抜の志 独立から統一へ続く闘争
日付: 2026年03月30日 03時45分

 統一日報は1959年1月1日の創刊以来、激動する韓半島情勢や韓日関係、在日同胞の歩みを一貫して記録してきた民族紙である。2026年3月31日、通巻7665号を区切りに、さらなる飛躍を見据えて一時休刊に入る。これを機に、67年3カ月に及ぶ歩み、すなわち「使命の記録」を改めて振り返る。

 統一は民族の分断を乗り越えるための基盤

 創刊者の元心昌(1906~71)は独立運動家であった。だが、その生涯は祖国の解放にとどまらなかった。33年3月、上海での「六三亭義挙」に関与し、日本帝国主義に抗した結果、13年7カ月に及ぶ獄中生活を余儀なくされた。解放後は日本に残り、在日同胞社会の組織化に尽力した。民団の創設を主導し中央団長を務めるなど、同胞社会の基盤づくりに大きく貢献した。
彼が見据えていたのは、常にその先にある課題だった。すなわち分断された祖国の統一である。6・25戦争当時、民団中央団長として在日学徒義勇軍642人の派遣に中心的役割を担い、戦場の現実を目の当たりにした。その経験は、若者たちの犠牲に対する強い責任感と使命感を彼に刻みつけた。
「二度とこの地に戦争の悲劇を繰り返してはならない」
この決意が、元心昌の進路を統一運動へと大きく方向づけた。55年には「南北統一促進協議会(統協)」を立ち上げ、思想的立場の違いを超えた統一運動を展開した。さらに59年、統一日報を創刊し、その理念を持続的に発信する基盤を築いた。自ら関わった民団から「反韓」の主導者として除名されるという逆風にさらされながらも、統一への信念を曲げることはなかった。

実践的統一論の先駆者


こうした経緯から、統一日報は一般的な報道機関とは性格を異にしていた。単なるニュース媒体ではなく、統一運動を担う媒体であり、民族紙であり、南北関係と在日同胞問題を総合的に扱う専門紙として位置付けられる。
統一日報は理念の提示にとどまらず、実行可能な統一方策の分析と提示に力を注いだ。新聞発行に加え、『統一朝鮮年鑑』や英文誌『One Korea』を刊行し、統一をめぐる議論を国際社会へ広げた。また「韓民自統」「韓民自青」などの組織を通じ、在日同胞社会における健全な民族意識を育む教育的役割も果たした。
その根底にあったのは、現実を直視するという姿勢である。68年の北韓による青瓦台襲撃事件や世襲体制への厳しい批判、さらに70年代以降に韓国の平和統一政策を支持する方向へと舵を切ったことはいずれも、その一貫した立場の表れである。とりわけ59年から84年にかけて実施された9万3000人規模の「北送事業」の危うさや、北韓政権の非人道的実態を追跡報道した点は特筆に値する。当時は日本の左派から「虚偽の扇動」と批判されたが、現在では歴史的事実として広く認識され、先駆的な報道として再評価されている。
この姿勢は、在日同胞の権益擁護にもつながった。80年代の指紋押捺制度撤廃運動、就職差別の是正、公営住宅の開放など、日本社会の人権問題に関わる現場で、統一日報は単なる観察者ではなく、問題提起と世論形成を担う主体として機能した。

 途切れることのない使命

統一日報の67年は、困難との連続であった。権力による圧力、外部からの脅威、財政的な制約に直面しながらも、一度の欠号もなく発行を続けてきた。その歩み自体が特筆すべきものだ。北韓の独裁体制への批判、テロ行為の追跡、脱北者問題の現地取材などは、統一を理念ではなく現実の課題として捉え続けてきた積み重ねである。統一日報は一貫して、不都合な事実にも正面から向き合う報道姿勢を貫いてきた。
一方で、現在の韓国社会では統一に対する関心が徐々に薄れている。若い世代の間では、統一が「遠い話」あるいは「優先度の低い課題」と受け止められる傾向も強い。しかし、分断と休戦という状態が続く限り、真の平和と繁栄が完成することはない。改めて想起されるのが、元心昌の言葉である。彼は最期に「統一を成し遂げられぬまま去ることが悔やまれる」と語った。統一は民族の分断を乗り越えるための基盤であり、北韓の同胞に自由をもたらす課題でもある。この重い使命感こそが、統一日報を支え続けてきた原動力である。その使命は過去のものではなく、今なお続く。統一は実践的課題で、これに対応できる体制を作ることが統一日報の新しい課題ともいえる。そして、現代を生きる韓国人に突きつけられている問いなのである。

(ソウル=李民晧)

今年3月、大田国立顕忠院の「今月の英雄」に元心昌・統一日報創刊者が選定された


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