現在日本の九州地方は古から檀君朝鮮国の分治地であったと朝代記に記録されている。日本第10代王崇神、第11代王垂仁、第15代王神功、第38代王斉明、第39代王天智、第43代王文武、第51代王桓武等天皇家は我が民族が渡っていった家系である。このことは今日、日本史学界の常識化されたものである。
西紀300年代末期に我が国の王仁博士(百済人)は『千字文』『論語』等の書籍や技術者を連れて日本へ渡り、文化を開拓した。第一代王である神武(狭野)は韓国から渡っていったとの説が記録にある。
韓民族文化は西紀前39世紀に建国した倍達国初期に世界で最初に文字が考案された。これが神誌赫徳の表意文字である鹿図文字(篆字の前身)である。西紀前27世紀頃中国の黄帝時代に蒼頡(孔子の先祖で東夷族)が創案したという象形文字と、西紀前28世紀頃シュメール国都市国家末期に創案したという楔形文字等があった。これらの文化はみな我々の鹿図文字から始源されたものである。そして西紀前22世紀、檀君朝鮮第3代王の時乙普勒が創案した現在のハングルの前身である加臨土文字38字の表音文字がある。
桓族が創案した今日の桓字(漢字)を外国文字と見て、加臨土文字の後身である(最近500年前に改良した)ハングル音文のみ国文視するのは矛盾である。一民族がその祖先の正統や固有の文化、宗教等を継承できない時に、その民族は滅亡したのと同様である。今日の儒教、仏教等は天神教の経典の原理から一部分を抜粋した分派教である。ギリシャ哲学とキリスト教の教理も天符経から発源されたものであるという学者もある。真理の祖先は一つであるというならば、信ずるにたる主張である。
以上は、金憲銓著・任正雲訳『桓国正統史 東洋上古史の実像・正された韓国史』に記されている内容で、少し長くなったが、紹介しておいた。
〔天智紀〕
天智は百済義慈王血統の渡来1世
天智は百済からの渡来1世で、だからこそ、長らく大王に就任できなかったと考えられる。倭国の大王は、倭国生まれであることが絶対条件とされていたからだと思われるからだ。天智が、百済からの亡命人を受け入れ、優遇し、新国家の創造を目指したのも、渡来1世の感覚としか考えられないのだ。
それゆえ、旧新羅系山陰王朝勢力の後裔である大海人王子(天武)と激しく対立したと考えられる。大海人王子が東宮(太子)の地位にあったのは、旧新羅系山陰王朝勢力からの圧力による妥協の産物であったと思われる。年が3歳ほど上とされる大海人王子が天智の弟になったというのも、倭国が百済国の分国的な扱いであったという証左になる。
付言すれば、天智が築いた高安城・屋島城・金田城などは古代韓国式の山城ということだが、そうした事実を知られたくないというのが、日本人気質であるような気がする。それが〝韓隠し〟を容認する土壌となっているようにも感じる。