金永會の万葉集イヤギ 第85回

歌がつくる歴史(最終章)
日付: 2026年03月17日 09時49分

 筆者が万葉集の初期の編者と推定する柿本人麻呂は当初、80番歌をもって第1巻を終えるつもりだった。だが、心境が変わり4曲を追加して万葉集の第1巻を締めくくっていた。
「ここはこれ以上、おられる所でありません。未練を持たず、もうお立ちください」

しばらくして人麻呂は元明天皇によって処刑された。彼は死の前に、もう1曲を追加しておいた。84番歌だった。万葉の旅人は84番歌を見て戦慄が走った。衝撃的な作品だった。

秋が過ぎたら、今やっと現れたのか。
妻があなたを恋しがっていた。
鹿たちが将来、鳴く山、高野原の家にあなたを祭る。

84番歌は、万葉集第1巻のエピローグとして選ばれた歌。藤原京から平城京へ遷都した直後の作品だ。天武天皇の皇子の長皇子が、天智天皇の息子である志貴皇子と宴を共にした。そのとき長皇子が作った歌である。歌詞中の「鹿たちが将来、鳴く山・高野原(鹿将鳴山曽高野原)」という文に注目すべきだ。

それは90余年後の衝撃的な未来を呼ぶ句だった。天智天皇の後継者である大友皇子は、天武天皇と持統天皇が起こした壬申の乱で敗北し亡くなった。その後、天智天皇の子孫たちは天武系の苛酷な治世に耐えながら、皇統を奪われた事実を恥ずかしく思ってきた。天を見るに堪えられず、笠をかぶって生きなければならなかった。天智天皇の息子の志貴皇子は監視の目をくぐり生き延びた。志貴皇子の息子の白壁王(西紀709~782年)が第49代天皇の光仁天皇に即位。天智天皇の孫が天皇になったのだ。
81~83番歌の意志が叶うこととなった。天武と持統の皇統は90余年で終わったのだ。

光仁天皇は百済武寧王の子孫である高野新笠を皇后に迎えた。「鹿が鳴く山・高野原」という84番歌の句が、90余年後に突然、魔力を発揮したのだ。鹿は天皇を指す。光仁天皇と高野新笠皇后の間で生まれた息子が、第50代天皇として即位する桓武天皇である。京都千年の時代を開いた天皇だ。光仁天皇と高野新笠皇后によって、天智天皇系の皇統が華やかに復活した。
高野新笠皇后に対する天皇陛下(現・上皇陛下)の御言葉がある。韓日ワールドカップ開催を控えた2001年12月23日のことだった。「私自身としては桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫と続日本書紀に記録されて韓国との因縁を感じている」。平城遷都1300年記念祝典でも言及された。

著名な女性エッセイストの岡部伊都子さんも『女人の京(岡部伊都子作品選・美と巡礼4)』(藤原出版、2005年)の中で高野新笠皇后に言及している。
「渡来文化が華やかに花開いた平安時代は、百済出身の母を持つ桓武天皇の時代から始まった。桓武天皇の母の高野新笠は、百済の王族で、第49代光仁天皇の皇后となった。きっと、白く美しい韓国女人の肌を持つ、かなり美しい女人だったはずだ」

 歌がつくる歴史(最終章)      <続く>


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