幻の大和朝廷113

新解釈日本書紀(続)応神
日付: 2026年03月10日 11時40分

 現在に受け継がれている『万葉集』の解読は、平安時代に、日本語が土着の言語という錯覚のもとに当時の日本語で解読されたものという指摘があるように、平安時代に新しく詠まれた”平安万葉集”ともいうべきもので、奈良時代に詠まれた本来の『万葉集』ではないということだ。

天智朝まで倭国は百済の属国

韓民族は西紀668年まではその歴史が華麗であり、アジア大陸の強国であった。即ち、桓国時代から倍達国時代まで全アジア大部分に多くの分国と侯国を置いた。倍達国末期に諸侯国が独立するかまたは異民族によって征服され、西紀前2333年頃に至って倍達国の18代王居弗檀桓雄の子桓倹は倍達国より縮小された国土である東北アジア全域に朝鮮国を建国後2096年目にして衰亡した。
北扶余国をはじめとして乱立した10カ余国の列国時代を成していたが、列国中の高句麗国が漸次強国に成り、朝鮮国の故土満洲と北支一帯を統一恢復した。それを同族国である新羅国が中国の唐国と連合して高句麗を征服したので、高句麗国は首都を捨てて満洲に震国を建て高句麗国大統を継承して南北朝時代を成した。
西紀918年に南朝高麗国が建国された。同年代(西紀907年)に満洲に北朝遼国が建国された。遼国の後身金国が西紀1234年に中国の明国に征服されたので、南朝高麗国は崔瑩将軍に命じて明国に向わし、北伐、故土(遼西地方)恢復を試図して満洲に進撃したが、李成桂軍一派は野心の発作によって鴨緑江咸化島で回軍して高麗国王権を纂奪叛逆により故土恢復は挫折され、我が民族は弱小民族に転落され、歴史までも掠奪偽造を被り、世界史における発言権を喪失されるに至って、東洋文化は西来したものだとか、桓国文化は中国文化から伝受されたものだとかいう妄説が生ずるに至った。
中国史の太祖格である三皇の中の伏義皇は倍達国第五代王太虞儀桓雄の12子中の季子にして現在の河南省に有巣、燧人に継いで王位にのぼって倍達国の侯国になったものだ。また、中国の五帝中初代の黄帝軒轅も倍達国人であり、紫府先生に学び皇内文を受けて行って皇帝になったとの記録があり、英国史学者ウイリアムスも中国の黄帝は東方から来た人であると中国古史にあると論証した。
檀君朝鮮国時代にアジア中原を支配した事実が中国魏書に記録されている。現代中国学者林恵祥著『中国民族史』と徐亮三著『中国史前史話』に中国の尭王と舜王は殷人の祖先であり、みな東夷族(朝鮮族)であると論証した。また、周国の文王は西夷(九夷の一族)の人であると『孟子』(離婁章)に記録されている。李廼楊著史に韓国を開国した者を中国人であると云云するのは妄説にすぎない。


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