済州島四・三事件を考察する 寄稿:安部桂司

済州島武装蜂起を支持した南労党と極東コミンフォルム
日付: 2026年03月10日 11時07分

 マルクスの「共産党宣言」を引用するまでもなく、武装蜂起は共産党のお家芸である。
国会記者会館で開かれていたNK会に、南労党のNo.4であった朴甲東氏も参加していた。恵谷治が編纂した『NK会40年史』に拠れば、朴甲東氏は初期から参加している。そこで朴甲東氏は済州島から南労党の党員を日本に潜入させた事例を喋った。
当時、党の指導部はNo.1~3迄が北へ逃げており、ソウルで指揮を取っていたのは朴甲東氏だった。朴甲東氏は済州島の党員に日本への潜入を命じたそうである。
朴甲東氏の話を裏付けるのは、平壌で刊行された「文献」である。済州島の党員が日本へ潜入して幾つかの地域で済州島の武装蜂起への連帯を訴える声明を出している。済州島の4・3事件は、済州島に閉じ込められる事件ではない。幾つかの日本各地での武装闘争も関わる事件であった。それは同時期に、極東コミンフォルムの存在があったからだ。
NK会の玉城素代表は福島県下には二つの共産党があった、と1948~9年当時を振り返った。極東コミンフォルムとは、昭和22年秋に中共国際派がロシア人、朝鮮人らを集めて哈爾浜で会合を開き「極東コミンフォルム工作委員会」を組織した(坪井豊吉著『在日同胞の動き』、自由生活社編、ソウル、1975年刊)と伝えられている。一時期、本部をウラジオストックに移したと指摘され、朝鮮南部から日本へ工作員を派遣した。
4・3事件は金石範の『火山島』が知られている。しかし、あの作品はフィクションである。作品中の死者の数は金石範が記述した数よりも大幅に少ない。日本政府が非公式に発表した数値よりも少ない。
実際の死者数は日本政府が確認している数よりも遥かに少ないだろう事は、金時鐘の日本への潜入から理解される。多くの南労党党員が逃げた日本へ潜入したのだ。
在日の歴史家、作家で済州島を論じ書く人がいる。だが、以下の日本語の文献を引用していない場合、日本人からは全てフィクションとして読むしかない。
『有明海の漁撈習俗』、や『長崎県漁業の近現代史』などを読んでいくと、多くのパルチザンが海に落とされたのではなく、海へ退避した事を推察させる。金時鐘の『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書、2015年刊)からは革命家としての生きざまを教えてくれる。
金時鐘は日本へ潜入すると日本共産党の戦闘的な党員として活躍する。それは海へ落とされたのでなく、海へ退避し戦闘場所を変えたという事だった。


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