大韓民国の建国史405

国軍の中枢になった「新軍部」の遺伝子の秘密
日付: 2026年03月03日 09時38分

 自由民主主義共和制に対する徹底した信奉者だった李承晩大統領は、新生大韓民国の自由民主共和制のための核心人材・戦士を養成する装置と機関がないことにやるせない思いを持ってきた。特に、国軍の建設過程で軍に浸透した南老党細胞を除去はしたものの、国家の干城である国軍将校を養成する上で思想的・哲学的基盤を作る環境ではなかったのが現実だった。
李承晩大統領はバンフリット将軍の提案に心から感謝し、鼓舞されて、陸軍士官学校の創設を急いだ。李大統領の全面的な支持の下、避難地の鎮海で開校した陸軍士官学校は、雑多な集合体だった韓国軍将校団に新しいDNAを植えつけた。韓半島の歴史上初めての自由民主共和国を守護する国軍の中枢がはじめて出来るようになった。新しい文明と価値で武装した将校たちが養成、排出され始めた。
陸士の主な教授陣はソウル大教授で構成された。米国陸士・ウェストポイントのシステムとカリキュラムや教材をそのまま移植した。陸士は、生徒たちに現代化した軍隊の将校としての専門性はもちろん、個人の喜怒哀楽を国家と国民、自由民主体制を基準に考え、行動するように教育した。
新生独立国でこのような教育を体系的に行う唯一の教育機関だった。天皇など君主や特定の支配政党ではなく、国民国家の国民のための献身を教育した。高度の人格体、騎士道を教えた。まるで修道士のような人性・品性を要求した。陸士の名誉制度の核心の一つは無監督試験だった。入校生の30%程度が4年の間に、主に成績未達などで脱落したが、試験でカンニングはなかった。
陸士は、歴史(戦争史)を通じて腐敗した軍隊や腐敗した指揮官が戦争で敗れ、国家を亡ぼした歴史を徹底的に教育した。世界最貧国として劣悪な国力、経済状況による、軍隊内の不正腐敗は深刻な問題だった。陸士は、生徒たちに特に不正腐敗や不義と決して妥協しないよう強調した。陸士出身は初級将校の時代から、軍の不正腐敗を監視する存在となった。
そして陸軍の中枢に成長したこの4年制の正規陸士出身が朴大統領の悲劇的退場で国家が混乱に陥ったとき、危機克服の過渡期の中心となった。「旧軍部」に代わる、いわゆる「新軍部」の違いは、青年期に叩き込まれたDNA・価値体系だった。
金載圭は法廷で、自分の行動を独裁を除去して民主化を成し遂げるための革命だったと強弁、正当化したが、朴正煕大統領の国葬が終わった後に訪れたのは、朴正熙の政敵たちが舞台を占めた混沌そのものだった。
外交官出身の崔奎夏国務総理が大統領権限代行を経て、補欠選挙で大統領に当選(1979年12月6日)した。彼の任期は法的には朴正煕大統領の残余任期である84年12月26日まで大統領職を遂行することができたが、維新憲法改憲と「12・12事態」「5・17内乱」など、過渡期を管理、担当する力量を示さなかった。むしろ混乱を掻き立てた。
維新体制のもとで諸般政策を遂行し、国家を管理してきた専門家集団などは、「自分が大統領になるのが民主化」と言い放った金泳三をはじめ、執権欲を燃やす金鍾泌、金大中などいわゆる「3金」との協力が不可能だという結論を下していた。第2次オイルショックで危機に陥った経済を収拾することも緊急だった。しかし「3金」は、国家的混沌と危機を収拾、管理する問題においては関心も能力もなかった。一般国民は政治的野心家ではなく、危機を管理する専門家集団、リーダーシップを求めた。

(つづく)


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