幻の大和朝廷111

新解釈日本書紀(続)応神
日付: 2026年02月25日 10時47分

 そのため、中大兄王子を、百済義慈王の子の余豊璋に比定する説があるのだが、しかし、余豊璋は韓地に帰り、新羅・唐連合によって滅亡した百済を立て直すための軍事行動を起こしている。
中大兄王子が余豊璋であれば、中大兄王子も消え去るはずだが、後の天智大王となっている。であれば、中大兄王子は、余豊璋の兄弟、あるいは由縁の人物と見るほかなく、であれば、皇極元年条に、「塞上はいつも悪いことをしている」と形容される百済義慈王の弟で当時日本にいたその塞上を想起せざるを得ない。
塞上は、百済にとっては都合の悪い人物であったかも知れないのだが、倭地にあっては時には百済にも物申す頼りがいのある人物であったかも知れず、それゆえに重要視されていた人物ではないかと思われる。

〔斉明紀〕

宝姫(斉明)は百済武王の娘の宝王女で義慈王の妹

孝徳亡きあと、中大兄王子が大王に即位するものと予想されていたはずだが、皇祖母と称され太后の地位にあった皇極が重祚して斉明と称した。中大兄王子の即位を困難にする状況があったとしか思えない。
倭の大王は、沸流百済系倭地勢力の血筋を持つ者、なおかつ倭地で出生した者しか即位できないという条件が、暗黙の了承ごとであったように思われる。中大兄王子は、その条件を満たしていなかったと見られるのだ。
乙巳の変で、古人大兄王子が「韓人が鞍作臣(蘇我入鹿)を殺した」と叫んだその韓人は中大兄王子とするのが通説とされるから、中大兄王子は、倭地で生れた韓人2世3世ではなく、韓地(百済)から渡来した韓人1世であったことを示唆している。
その中大兄王子は、百済義慈王の子の余豊璋の弟である塞上であると推測した。塞上は余豊璋の子という伝承もあるようで、中大兄王子は、余豊璋の弟あるいは子であるとみて間違いはないだろうと思われる。
斉明は、異常なまでの心意気で百済救援に乗りだしたが、その心労で、筑紫は朝倉宮で死去したと思われる。斉明の実体は、威徳王↓恵王↓法王↓武王↓義慈王と続く百済王統譜のなかの武王の娘の宝王女で、義慈王の妹だとする説がある。であればこそ、百済からの渡来1世である斉明の積極的な百済救援が理解できるというものだ。


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