李祥雨の一刀両断④

黄色い封筒に何が入っているか?
日付: 2026年02月25日 10時37分

 今は平和になっている日本の労使関係は大変な葛藤の上、成し遂げられた。
1945年、日本が敗戦を迎えると、国家の運命が連合国最高司令官マッカーサー元首のGHQ(General Head Quarters)の手に渡り、GHQは日本の民主化政策の一環として労働3権(団結権・団体交渉権・団体行動権)を保障した。その結果、企業ごとに労働組合が生じ、最初の課題が賃金引き上げのための闘争だった。
初期から左派勢力が主導権を握って時間が経つにつれて過激な労使対立が起きた。46年トヨタ自動車労働組合のストライキを皮切りに、総評(総動組合総評議会)が主導する全国総ストライキが起きた。このストは共産党と社会党が介入して左派的傾向が強かった。
50年の韓国戦争を契機に西方陣営の連合とともに世界情勢は「冷戦体制」に固まった。GHQは共産党系列の労働組合活動を弾圧し始め、ついに総ストライキ禁止令まで下した。一方、経営陣は「対立的労使関係」の代わりに「協力的労使関係」を強調し、福利厚生と雇用安定を打ち出して労組をなだめ始めた。過激だった労組は一部の戦闘的な団体を除いては企業別組合に変わり、安定した体制に変化した。
55年から毎年春に総ストライキとともに街に流れ出した「春闘」は徐々に消え、賃金引き上げを置いて経営者団体と一括的に交渉する制度化された「賃金闘争」に変化した。55年以降、日本経済の高度成長で賃金引き上げ率が高く維持されると、労組も「激烈闘争」より「交渉中心」に変化した。
今は「春闘」のような街頭総ストライキで警察と催涙弾対峙をしていた姿がすべて消え、労組があるかどうか分からないほど経営パートナーの役割をしている。日本労使関係がこのようになったのには街頭闘争に対抗する国民の激しい行動が大きな変化をもたらした激しいストライキとデモによる交通麻痺、商店街被害、衝突事件が頻繁になると被害を受けた店主たちが労組を相手に訴訟を提起し、日本の裁判所が厳重な賠償判決を下し、労組が莫大な負担を負う事例が相次いで発生し、労組は「過激闘争は危険だ」という教訓を得た。
日本は45年、GHQ占領期の労働3権保障から始まった労組活動が戦闘的ストライキから↓韓国戦争以後反共政策によって左派弱化になり↓春闘制度化↓企業別組合・労使協力構造で安定になった歴史を持つ一方、韓国はどのような道を歩んできたのか見てみよう。
韓国は45年自生的左派労働運動から↓総ストライキ↓韓国戦争後左派消滅↓軍事政権下の管制労組↓87年民主化以後、独立労組に成長↓95年民主労総結成に至るまで平坦ではない歴史を持っている。
最近労使関係の大きな変化になる「黄色い封筒法」という法案が国会で共に民主党の過半数の評決で決まったのだ。いったい「黄色い封筒法」という名称はどこから来たのだろうか。2009年5月から8月まで双竜自動車労組がストライキを断行して工場を占拠することが発生した。ストライキが終わった後、会社側は労組を相手にストライキで会社が被った財産的被害に対して3000億ウォンの損害賠償請求訴訟をした。
裁判所は、労組が47億ウォンを賠償するように判決した。これに一市民が労組を助けるために黄色の封筒に4万7000ウォンの寄付金を入れてメディアに送ったのが話題になった。以後、約15億ウォンに達するお金が集まったのが黄色い封筒の由来だ。過去の給料袋の色が黄色であったことも連想させる。
黄色い封筒法の核心は2つある。労働組合及び労働関係操縦法第2条(改正案)「使用者とは、労働条約締結の当事者でなくても、労働者の労働条件に対して実質的かつ具体的に支配決定できる地位にある者も、その範囲においては使用者とみなす」という条項である。これは工事の下請業者ではなく元請業者(経営最高責任者)も労組の対象になるということだ。団体交渉権をはじめとするすべての権利の相手が元請業者にもなることができるということだ。2番目は、同法第3条2項、「裁判所は団体行為、その他の労働組合の活動による損害賠償責任を認める場合、賠償義務者別に帰責事由と寄与度に応じて個別に責任範囲を定めなければならない」という条項である。
「双竜自動車事態」の場合と同じことが発生しても労働組合という集団に対しては賠償請求ができないという意味だ。労組員個々人の行為を相手に請求するという意味だ。企業人としては大きく不利な内容であり、「激しいストライキ」にも責任を問うことがほとんど不可能になるという内容だ。韓国が日本の労使関係の歴史に追いつかなかったのには様々な原因があるが、最も顕著なのはストライキ被害賠償を商人が直接積極的に持ち上げることができなかったことが重要原因の一つと見られる。


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