壬申の乱で勝利した天武天皇の鸕野讚良(うののさらら)皇后は、郷歌をもって斉明天皇と天智天皇を補弼してきた額田王を退け、彼女に代わって郷歌を作る人材を国中で求めた。そのとき、石見国(今の島根県)に住んでいたある人才が薦められた。万葉集の歌聖と言われる柿本人麻呂だった。
柿本人麻呂の作品は、額田王の短く繊細なものとは対照的な歌風だ。彼が自分の歌は繁妙さが特徴だと言った。繁は多い、生い茂るなど意味だ。そういう作品が天地神明を感動させる神妙さがあるということで繁妙と言った。
柿本人麻呂は、万葉集の数多くの作家の中でも、最も重要な作家と言える。彼の作品は、日本列島の背骨である日本アルプスの険しい高峰峻嶺のように、万葉集の中心軸を成している。柿本人麻呂は歌をもって持統天皇の政事を補佐した。持統万葉の時代は彼によって開かれた。
だが、柿本人麻呂の生涯は謎に包まれている。その理由は、未だ万葉集が的確に解読されていないためだ。
いずれにせよ、柿本人麻呂の登場は、彼が優れた歌人であることを超え、郷歌が宮中の中でのみ作られ詠まれたのではなく、海を渡って韓半島に面している漁村・石見国に優れた郷歌歌人が住んでいたという事実だ。これは万葉集の解読と研究が、古代史の謎を解明するにどれほど重要かを物語る。
郷歌の製作法で彼の作品を全部読み解けば、彼の一代記が浮かんでくる。彼の生涯が分かる幾つかの作品を紹介しよう。
40番歌を解読する。
遠く旅立つ私を憐れむな。私は名を得るだろう。
あなたのお話が実現するときがいつかをどう分かるでしょうか。
私はあなたを偲ばずいるわ。
石見国に住んでいた柿本人麻呂は、鸕野讚良皇后から召された。140番歌を通じて、飛鳥へ向かう前夜、柿本人麻呂と妻が睦言を交わしていたことが分かる。別れの前の夫婦のやりとりは愛情にあふれている。夫は必ず名を得て帰ってくると、泣く妻を慰めた。
夫と送らなければならない妻の心情が胸を打つ。「私はあなたを偲ばずいるわ」は反語法が用いられている。きっと懐かしむはずなのに、夫を安心させるため、あえてそう言っている。
柿本人麻呂が言ったこの夜の約束は現実となる。彼は持統天皇の深い信任を得て、1300年後の現代の日本人も、彼を歌聖として敬っている。
後になって、この夜が彼ら夫婦にとって最後の夜だった。後日、人麻呂が故郷に戻ったとき、妻はすでに亡くなっていた。
140番歌の別離の情恨の表現を見れば、実にギリシャやローマの作品・文化に少しも劣っていないと言える。筆者は柿本人麻呂を、北東アジアの郷歌文化5000年の歴史の中で最高の歌人の一人と評価する。
歌聖 柿本人麻呂(万葉集の高峯峻嶺の秘密) <続く>