ソウルで始まった旅人の旅程はやがて万葉集の80番歌に辿り着いた。80番歌ということに注目しなければならない。万葉の世界で「8」は、「多い、大きい、永遠」という意味で使われていた。80は、もっと多く、もっと大きく、無限を象徴する。
万葉集の初期の編纂者は、1番歌から80番歌の歌々をひとつにまとめようとしたのに違いない。80曲の歌集は、持統天皇の子孫たちが万世に至るまで皇統を継ぐようにと祈る歌集だった。それが初期の万葉集編纂者の目的だった。
元明天皇は持統天皇との連続を夢見ていた。
そのため人を、藤原京と平城京を絶えず往来するようにさせた。
二人がその仕事のため任命された。一人は男(將)で、一人は女(母)だった。往来の任務を終えると、褒美を与えるようにしたのだろう。
藤原京と平城京は一日の距離だった。夜明けに出発すれば夜遅く着いた。
80番歌は、持統と元明の血統が万代を継げるようにと祈願する歌だった。
第80番歌はこう解読される。
「青く赤く焚火が灯る寧楽(平城京)に万回を交代しながら往来しよう。
わたしたちは行き来する苦労を忘れ、(ひたすら天皇の)功績だけを考えながら忙しく行き来しよう」
古代の飛鳥川の辺りを二人の女人がやってきて去った。
姉は鸕野讚良と呼ばれ、妹は阿閇と呼ばれた。
そして1300年後、ソウルから一人の旅人が訪ねてきた。藤原京と平城京の遺址で彼女たちの人生を辿り嘆息する。
1300年の歳月が須臾のように流れた。
藤原京と平城京を訪ねる人々よ、そこに行けば彼女たちが伝えようとする夢の物語に思いを馳せてほしい。
次回から「壬申の乱」のとき、天武天皇を補佐した鸕野讚良皇后(後に持統天皇)が、郷歌をもって斉明天皇と天智天皇を輔弼してきた額田王を退け、国中で最も優れた郷歌の作り手として抜擢し持統万葉の時代を開いた、柿本人麻呂を紹介する。
夢の歌飛鳥川は流れる(万葉集第78、79、80番歌) <了>